書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

たまらなく調子の悪い朝に「オレが私になるまで」を読んだ

調子の上がり下がりがある。

人は誰だってそうだと言われれば、そうなのだろうけれど、自分の停滞時期を引き受けられるのは自分だけなわけで。それを何とかかんとか乗り切るのは、毎度ながら非常に骨が折れる。

 

今朝、弘前の気温がグッと下がって、それなのに半袖短パンなパジャマなもんだから、体が肌寒い。布団の包容力が増して、冷たい冬の気配すら感じるのだから、体も心もびっくりして当然なのだろう。

胸の奥がぐーっと圧迫されるような、掴みどころのないモヤがかかっている。そこから目を背けるためにSNSで漫画を見たりしたけど、漫画世界に没入した結果、モノクロな現実世界とのギャップが大きすぎて、ひぃひぃ言っておる。

 

淡々とこのモヤを享受できるほど強靭ではないので、何だかわからないが朝からブログを書いている。文字、文字、文字。文字に共感してもらおうと思って書いている。

 

朝から読んだ漫画は、SNS断食をする前から続きが気になっていた漫画だった。

 

comic-walker.com

 

小学生の男の子が急に性別が変わって、すぐ元に戻れるのかと思いきや、そのまま女子として年を重ねていく風景を描いた漫画。

男子目線と女子目線を併せ持つことになって、その視点多さや、学生ならではの人間社会の揺らぎに悩んだりして、それでも成長していく男の子(少女)、アキラのお話。

しばらく見ないうちに漫画の更新が進んでいて、アキラの心情的に大きな進展を迎えていた。進展というか、壁というか、思春期というか。檸檬や苺みたいに甘酸っぱい思春期じゃないんだよね。赤いスグリみたいな様相さね。

 

続きが楽しみ、そして単行本もちょっと手元に置いておきたくなる。

時の流れの温かさと残酷さ、人の変化や微妙なずれみたいなものが、さりげなく、それなのにどストレートに書かれてて、いやぁ~~好き。

主人公のアキラがね、どんどん綺麗になっていくんだよね。まだ未成年だから己の心情を全てくみ取れる訳じゃなくて、両手からサラサラと零れ落ちてしまう感覚もあるんだけど、どうにか丁寧に掬い取れないだろうかと、四苦八苦している様とか。変えられないものは今は受け入れるしかないけど、変えられる可能性のある物事には、何とか真摯に向かい合おうとする姿とか。アキラは元々めっちゃいい子な訳じゃなくて、謎の性転換ゆえの苦労に裏打ちされた結果なんだけど。どんどん綺麗になっていく。心も、そして見た目も。見た目ねぇ~~、見た目がいいって、波乱あるよな~~。

アキラはこれからどう発育していくんだろ。男性に戻るのかな、他に性別が変わってしまった登場人物は現れるのかな。楽しみ。しっかり最後まで追っていきたい。

 

とこうして文字と向き合っていたら、ちょっと気持ちが楽になってきた。ありがとう「オレが私になるまで」、ありがとうブログ。

よし、やるべきことに鶏雲。「取り組も」って書いて、鶏雲って出てくるの、ちょっと可愛い。

そういえば外は雨が降ってることに今気づいた。そりゃ調子も悪くなるわ。今日は無理せずにいきます。

 


オレが私になるまで 1 (MFC)

久渡寺入口の「子どもの森売店」が2021年11月で閉店するという話

先日旦那と編笠林道を歩いてきた。

弘前市の座頭石地区と、円山応挙の幽霊画「返魂香之図」で有名な久渡寺とを結ぶ林道である。歩いた感想は次回にするとして、今回は別視点のお話。

 

久渡寺入口へ到着すると、小さな駐車場に隣接する形で「子どもの森売店」が営業している。

 

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右手にあるのが売店

 

久渡寺観音堂を目指す前に、トイレ休憩がてら、売店で売られているこんにゃくを食べようかという話に。店をのぞくと、そこにこんな張り紙が。

 

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え…

 

2021年11月23日、勤労感謝の日をもって、店が閉店するというのだ。ショックだ…。

 

目的のこんにゃくは売り切れだったが、腹が空いていたので昼食をとることを提案。わたしは天ぷらそば、旦那は焼きおにぎりを注文。

散策前にコンビニで昼食を買っていたが、そちらは後回し。閉店前に思い出を残したい気持ちと、ホカホカの温かいそばを食べたい気持ちとが入り混じる。

わたしたちの他にお客さんはいなかったため、店主に店の写真を撮っていいですかと聞くと「お好きに撮っていっていいですよ」と了承いただけた。

 

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店主曰く、こちらが売店初代の暖簾だそう

 

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こちらは二代目の暖簾。赤暖簾が受け継がれているんだな…

 

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人気のこんにゃく。残念ながら今日は売り切れ。
旦那曰く「前来たときに自分がこんにゃく食べようとしたら、「わたしはいいやー」と断ったじゃん」とのこと。何で食べなかったのわたし……

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アイスが激安。気温が涼しかったので今回は買わなかったが、散策後に食べたいラインナップ。手書きの値札がいい味出している。

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店内にはお菓子や雑貨も売られており、壁にはねぷた絵も。

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やはり値段が安い。いいのよ故障してても。

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天ぷらそば。店主が大きなコンロに火を入れて作ってくれた。味が体にしみる…

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焼きおにぎりと一緒に。天ぷらそばは煮干し出汁で、いかにも津軽そばという懐かしい味がした。散策後に食べると一層美味い。焼きおにぎりは表面が香ばしく焼かれており、米はもちもちとした食感。

 

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ちなみに汁まで完食。煮干し出汁は津軽人の心ですな…。

 

少し思い出を語る。

 

弘前の観光資源的には幽霊画が有名かもしれないが、弘前で育った身としては、久渡寺といえば子どもの森だ。弘前市のHPから、子どもの森の紹介を引用する。

 

久渡寺(くどじ)山を中心としたこの森には、両生類や魚類などを展示したビジターセンターや、学習植物園、あそびの森、キャンプ場などがあります。こどもの森までは、土淵川沿いにサイクリング道路もあり、ハイキングなどにも最適です。

弘前市公式ページより

 

保育園・小学校・中学校と、子どもの森には遠足でお世話になっている。

学校やバス停などから売店横の駐車場まで歩き、ビジターセンター周辺で自由行動をしたり、見晴らし台まで山登りをしたりなどした。

山登りといっても小学生でも登れる程度の距離だ。軽い運動をしている大人ならば、肩慣らし程度に行って帰ってできる、身近なハイキングコースといったところ。

 

遠足以外でも、家族や友人との山登り、ツーリングなど、体を動かす機会にはよく子どもの森を訪れたものだ。

ちなみに東京からUターンしてくるまで、わたしが弘前市で登ったことのある山は、この子どもの森の山だけだった。弘前市民の心のふるさと、岩木山すら2年前(2019年)に初登頂だ。子どもの森の山の名が「久渡寺山」というのも最近学んだ。いやはや全く地元愛に欠けている。しかしそれだけに印象が強い。

 

山といえば、子どもの森。そして子どもの森といえば、この売店だった。

遠足で来たときも、山登りをしに来たときも、ツーリングの中継地点として立ち寄ったときも、この売店が憩いの場だった。

 

久渡寺周辺にはコンビニも商店も存在しない。コンビニが台頭してくるもっと以前からこの売店は地域のオアシスであったと思う。

わたしも小さい頃、売店でアイスやジュースを買ってもらって、駐車場を走り回って遊んでいたように思う。当たり前に存在している場所であり、無くなることすら想像できなかった。今でも何だか信じられない。

開業して51年だという。1970年から、この場所で久渡寺を訪れる人々を見守ってきたのだな。

 

何故閉店するのか、詳しい話をもう少し聞きたいところだったが、土足で踏み入ってしまうような気がして控えておいた。

ただ、天ぷらそばと焼きおにぎりの味を存分に味わい、「氷」の旗がはためく入口や、バキや医療漫画が並んだ雑誌置き場や、ベンチが並んだ客席を目に焼き付けるようにして眺めたりしていた。

 

11月の閉店を前に、旦那とここを訪れることが出来て良かったと思う。何より閉店のお知らせをいち早く知れて嬉しい。

子どもの森や売店に思い出がある方は、無理のない範囲でぜひ閉店前に足を運んでほしい。自分もまた、散策がてら訪ねてみようと思う。今度は売り切れる前にこんにゃくも食べて、アイスも買っちゃうんだ。売店の思い出を1つでも多く、残しておきたいと、そう思う。

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を読んだ

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を読んだ。

 


置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎文庫)

 

苦しみ悩んだとき、自身がどのようにしてこれまでの人生を生きてきたか描くことを通じて、読者に向けて心の有り様を教えてくれる。

渡辺さんはキリスト教カトリックの修道女で、学校法人ノートルダム清心学園理事長を務められた方だ。なので、本の中ではたびたびキリスト教流の考え方が登場する。

キリスト教は何となく苦手としていたが、渡辺さんの人生体験がベースとなった本書の語り口は好ましく感じた。柔らかな言葉選びをされており、平易に書かれているのも、心が弱ったときに縋る1冊として適していると思った。

 

わたしは感情の起伏が激しいときがあり、一旦落ち込むと回復まで時間を要する。

べそべそ泣いて眠るのが1番手っ取り早いが、心にわだかまりが生じて発散が難しいときは本に頼る。自身を励まし、フラットな状態へ立ち返らせてくれる文章を読み、心に栄養を与えるのだ。

「うつヌケ」や「道は開ける」なんかもそういう位置づけ。落ち込んだら、この本の中にヒントがあるかもと思える、避難所のようなもの。

 

こういった本は、時期によって心に響く箇所が異なるのも興味深いところ。

今回読んで考えさせられた部分をいくつか引用する。

 

 

 

笑顔で咲く

「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここへお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」(略)

どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

 

本を読んだ時期は、他者への不平不満が日増しに大きくなっていた頃だ。コロナ禍の身動きのとれなさや、物覚えの悪さ、金銭的に自立しきってない現年齢らしからぬ不甲斐なさ、自分の機嫌を取れない大人げなさ。それらが全てない交ぜになって、ふとした瞬間自身を苛む。そんなとき「笑顔で咲く」というのが妙に心に残った。

「笑顔が大事」とはこれまでの人生何万回と耳にしたが、ここにきて「自分から笑顔を発信する生き方も悪くないかもしれない」と思った。

咲けない時を仮定したセーフティーガードがあるのも、ハードルを下げていて取り組みやすいなと。ベイビーステップ大好き人間には助かる。

 

何かを悟る瞬間というのは唐突に訪れる。自己肯定感が少しずつ高まり、夢中になれるブログなるものが現れ、精神的土台が固まってきたからかもしれない。

笑顔をどれ程持続できるかはわからないが、日常の中に取り入れていきたい。

 

 

私のほほえみは、神さまのポケットに入ったのだ

自分が期待したほほえみがもらえなかった時、不愉快になってはいけない。むしろ、あなたの方から相手にほほえみかけなさい。ほほえむことのできない相手こそ、あなたからのそれを、本当に必要としている人なのだから(略)

私からのほほえみを無視する人たちがいました。そんな相手に”いきどおらず、美しいわたしであるために”、私はこう考えることにしたのです。「今の私のほほえみは”神さまのポケット”に入ったのだ」と。

 

この引用部分もやはり笑顔に関する箇所だ。

最近の命題の1つは「笑顔」であるらしい。

 

何度も言うが「笑顔が大事」なのは理解している。向けられた笑顔に癒されたこともあれば、笑顔を取り繕うとして泣きそうになったこともある。

ただ、笑顔も消耗するというか、枯渇する瞬間もある。見返りを求めてしまうときとか特に。

「神さまのポケットに入ったのだ」という一文は、尻込みしそうな背中を支えてくれる感じがする。行為自体に目立った成果が上がらずとも、目に見えない誰かしらが受け止めてくれるなら、勇気を出して笑顔を贈れる。この一文もセーフティーガードとして活躍するだろう。

 

 

本を一通り読んだが、キリスト教に入信したいとか、そんなに熱心な信仰は今のところない。教えを精神のセーフティーガードだと捉える程度の思考の持ち主だし。あと一神教より八百万の神々のほうが親近感がある。米粒1つ、草の芽1つにも神は存在すると思う。

ただ宗教でも何でも、自分が納得できる思考法がそこにあるのなら、拝借し人生に役立てればいいんじゃないかと思う。占いで、自分に利がありそうな結果だけを信じるように。そこには私自身が腰を据えて立っていなければならない。納得できない思想に、人生を悪戯に波立たせてはいけないと思う。

 

「置かれた場所で咲きなさい」の帯に「読み継がれる大ベストセラー 累計300万部」という帯がついている。それだけ誰かの役に立ち、多くの重荷を軽くしてきたのだろう。自分も「笑顔」という命題に出逢えた。

今悩んでいる出来事の何かしらのヒントがあるかもしれないので、気が向いた方は読んでみたらいかがだろうか。薄めの文庫なので、活字苦手な方も挑戦しやすいと思う。

 

最後に余談をば。キリスト教に入信する気はないと言ったが、ミサには興味がある。日曜日行われている…はずだよな。映画「天使にラブソングを」でしかミサの雰囲気は知らない。どんな風に行われているか、どんな雰囲気なのか非常に興味があるので1度は参加してみたい。

静謐な空気に包まれて、祈りを捧げるのはどんな心地がするのだろう。思いを馳せて、来るその日を待ちわびておく。

 

 


うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち 【電子書籍限定 フルカラーバージョン】 (角川書店単行本)

 

 
道は開ける 文庫版

 

【ネタバレ有】登山家たちのクトゥルフ神話TRPGを視聴しました

「登山家たちのクトゥルフ神話TRPG」を視聴したので感想を語る。

TRPGシナリオ「狂気山脈 ~邪神の山嶺~」のリプレイ動画で、シナリオの作者・まだら牛さん自身のYouTubeチャンネルで公開されている。

展開の詳細なネタバレはないが、シナリオ未プレイの方はブラウザバックをおすすめする。

 

youtu.be

 

GMが作者・まだら牛さん、プレイヤーがガチ登山家の3人という面子。ルールブックを携え山小屋でセッションを行い、翌日にはGM含めた4人で雪山登山を決行したという、大変珍しいプレイ背景を持つ。

動画の幕間には件の雪山の写真や動画が差し込まれ、冬の壮大な景色と、登山知識がない身からすると狂気に満ちた風景にお目に書かれる。

セッションでは登山用語が飛び交い、登山家ならではのロールが小気味よかった。

 

 

「狂気山脈 ~邪神の山嶺~」は以前わたしも遊び、プレイログを残した。

 

clton.hatenablog.jp

 

シナリオの全貌がわかり「これでネタバレ解禁だ!」と咆哮。セッションでGMを務めたH氏のおススメで、高名なリプレイであるというこの動画を視聴したという訳。

 

視聴を終えた第一の感想は「そうか、このシナリオはクトゥルフ神話TRPGなんだよなぁ…」であった。

非常に「クトゥルフらしい」というか、非日常的、冒涜的、神秘的な展開。

プレイヤーの1人が「クトゥルフのやるべきことが全て詰まってた気がする」の台詞が、シナリオの全てを表している気がした。

 

 

クトゥルフ神話TRPGはどんなものかと認識するにあたり、わたしはこの端的な説明文を好んでいる。

 

クトゥルフ神話TRPGは、矮小な人間である探索者たちが、様々な宇宙的恐怖に晒されつつも真実を暴き、時にはカルトや神話生物を殺す事を目的として発狂する様を楽しむホラーTRPGとなっている。(ニコニコ大百科より

 

シナリオに登場するキャラクターは魔法も未知の力も使えないただの人間で、眼前に迫りくる神話生物はその圧倒的な力を振るい、軽々しく、冒涜的に人間を消し潰すことができる。

明らかな力量差の中、どうやって生き残るか「あがく様を楽しむゲーム」であったなと、この動画を見て改めて思い知らされた。

後味の悪さも清々しさも、清濁併せ呑む感情もろとも引き受けて遊ぶ。これがクトゥルフ神話TRPGなんだなぁ。いや、シナリオ未プレイの方にはぜひネタバレを見ずに遊んでほしい。自身で狂気山脈登頂に挑んでほしいよ。

 

自身がプレイしたときは、一貫して慎重なプレイを心がけていた。というのも、わたしはこのシナリオを「クリアしたい」、いや「ハッピーエンドを迎えたい」と思っていた。

ゲームという仮想世界の中くらいは、努力は報われてほしいし、見返りが欲しいという気持ちが強かったのだ。

しかしTRPGは「物語を作る」ゲームだ。一方通行の物語を単に筆でなぞるだけの、単調なものではない。上手くいくかもしれない、いかないかもしれない、というリスクを孕みながらも、仮想世界の中で綱渡りをエンジョイする遊びなのだ。

もう少し早くこのTRPGの摂理を悟っていたかった。そうしたら、慎重さだけでなく、時にはキャラクターとしての大胆さをもって、狂気山脈に挑めたのかもしれない。

 

 

まあ自身のプレイの反省をしてもしょうがない。プレイの稚拙さを置いておいても、あのシナリオで得た没入感や体験は素晴らしいものだった。

舞台が「世界最高峰の山岳」というスケールの大きさもよいではないか。

それに加えて動画では、山岳知識が豊富な登山家たちが、登山家を演じるということで、リアリティが増している。動画を見て、自分も雪山に登りたくなった。ご来光を拝みたい。凍った滝の登攀は狂気の沙汰なので、もう少し緩やかな所でいつか体験したい。

また、参加者のお1人が、コミケで本を頒布されていたらしいと幕間で知った。またコミケに行く理由が1つ出来た。今サークル活動をされているかは存じ上げないけれど。

 

「狂気山脈 ~邪神の山嶺~」は他にもリプレイ動画がたくさん投稿されている。ゲーム実況者集団「ナポリの男たち」もまた山脈に挑んでいるため、いつかそちらも視聴しようと思う。

同じシナリオという大前提にも関わらず、プレイ動画を漁りたくなるほど魅力的な作品なので、ぜひ未プレイの方はGMを捕まえて遊んでみてほしい。作者まだら牛さんの、狂気山脈アニメ化プロジェクトも応援しております。

 

kai-you.net

【SFCウルティマⅥプレイ日記5】ブリテインの町並み(中編)

ウルティマⅥ、プレイ日記その5である。

前回のプレイ日記はこちら。

 

clton.hatenablog.jp

 

引き続きゲームの攻略、ストーリーに容赦なく触れていく為、ネタバレ注意。

根本的に説明が異なる場合はご指摘ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城下町ブリテイン散策、中編である。

前回はブリテイン左(西)側を紹介したが、今回は右(東)側の町並みを旅していきたい。

 

 

 

造幣局

天秤が書かれた看板が目印。

ロードブリティッシュと会話したのは最早記憶の遥か彼方だが、彼が「ルーンについては城の南に住むトルーデンに聞け」と話していた。

実はトルーデンはこの造幣局に勤務している。「城の南」がどこなのか、もう少し詳細をだな…、とロードブリティッシュへの疑問点が膨れ上がるばかりだが、とにかく話を聞いていく。

 

ロードブリティッシュの秘書を務める、トルーデン

アバタールがコデックスを持ち帰ったとき、8つのルーンは昔1つに集められた

・ルーンは現在、神殿近くの町に置かれている。詳しくは町の町長に聞くとよい

・ルーンを託された町は8つ

 ムーングロウ、ジェローム、ユー、ミノック、

 トリンシック、スカラ・ブレイ、ブリテイン、ニューマジンシア

・優しさのルーンは音楽学校のバードが知っている

・コデックスはこの国で最も大切な宝。全ての物の源

 

コデックスについてはよくわからないが、おそらくウルティマ5以前にアババンが打ち立てた功績なのだろう。ルーンが託された8つの町を訪れるのが、今後の旅の目的の1つになる。

 

ぴっちりとした服の女性、テリー

造幣局でお金を作っている

・(博物館の館長の)キティンと友達

・金塊1つを10ゴールドで両替できる

 

金塊1つ10ゴールド。高いのか安いのか。いや、安い。

矢1本で1ゴールドとかするので、金塊1つでは安価な防具すら買えない。

金塊が珍しくない時代か。ゴールドラッシュか(適当)。

 


宿屋

ブリテイン唯一の宿屋。

 

 

落ち着いた男、ペイトン

・朝食付き、1部屋32ゴールド

 

ブリテインを散策している時点では、32ゴールドが宿屋の相場として高いのか安いのかは知らずにいた。

各町を巡ったあとでは、価格が城下町価格だというのがよくわかる。金塊3つじゃ泊まれないくらいだから、そりゃ高いよね。

 

 

鍛冶屋(武器屋)

ロープのような蛇のような模様の看板が目印。

旅の始まりは、ここで装備を整えるのがよさそうだ。

 

黒い顔の鍛冶屋、マックス

・武器や防具を売買できる

 

 

パン屋

看板にはグラスのようなイラストが描かれている。

RPGの商店街に軒を連ねる店といえば武器屋・防具屋・宿屋・酒場・占い屋くらいだと思っていたが、わたしたちの胃袋を満たす町中のヨーロッパ、パン屋まであるとは。幼き日の初プレイ時、ウルティマⅥのパン屋のラインナップにワクワクしたものだ。

野営の際に食べ物を所持しているとHPが回復するが、HP回復量に食べ物の種類は影響しないらしい。ゲーム内の現実を知って少し寂しくなるが、それでも選択肢があるのは嬉しいもの。


小柄な男、クレン

・パンを買うことができる

・クレンのパンはロードブリティッシュも食べている

 

 

矢屋

看板には1本の矢の絵。非常にわかりやすい。


しなやかな女性、リン

・弓の矢を作っている

・ロードブリティッシュの軍隊もここの矢を使っている

・矢が買える。「や」「クロスボウのや」どれも1ゴールド

 

1ゴールド、安い!と思っていたが、金塊のレートを知ってからは、見方が変わる。

 

 

生地屋

ハサミの絵の看板が目印。

ウルティマⅥのキーワードとなる「気球」の情報が登場する。


カラフルなジャケットの男、フィアドア

・布を織っている

・気球の話を聞かせてくれる

・気球に使われている布は絹じゃないか

・ニューマジンシアにシャーロットという絹織り職人がいる。絹を織れるのは彼女ただ1人

 

ニューマジンシアを訪れる理由がまた1つ増えた。

ウルティマⅥはこのように重要情報が乱立するから、情報は整理しておかないといけない。

 


雑貨屋(道具屋)

こちらの看板は鍵の絵。


ブツブツ言っている太鼓腹の男、雑貨屋のエフラム

・たいまつなど、消耗するアイテムを買うことができる

 

 

イオロズ・ボウ(イオロ弓店)

矢の絵の看板その2。同じ町中に矢の店が2軒も!!商売敵か!と思ったそこの貴方。

心配はいらない。リンの矢屋では矢を、イオロズ・ボウでは弓を売っている。

 

栗色の髪の可愛い女性、ゲネス

・イオロの弟子で、イオロの跡を継いで店を経営している

・ここの弓はゲネスが作った

・弓を買うことができる

・矢の職人リンを絶賛する

・ブーメランについて教えてくれる

 

 

ブルーボア(酒場)

グラスの絵の看板。活気があり、つい立ち寄りたくなる酒場だ。RPGにおける酒場って、冒険の定番という感じがして憧れる。

 

忙しそうな女性、アニヤ

・酒場を経営している

・優しさのルーンを貸してあげると、許可をくれる

・食べ物を買える

・亭主のマットと娘のアリアナと暮らしている

・マットは耳が遠くなってしまった。1度でいいから娘の演奏を聴かせてやりたい

・マットの耳を治してくれと頼まれる(はい/いいえで回答する)

 

耳の治療について、治せる当てもないのに「はい」「いいえ」どちらにも回答してみた。ぬか喜びは残酷だというに。アニヤ共々、気まずい気分になってしまった。案の定、徳の数値が下がったような気がする。

しかし冒険の過程でよい治療法や魔法と出会えるかもしれない。マットのことは覚えておこう。

 

やつれた男、マット

・手話で会話する

・デュプレ曰く、彼は耳が遠いから、アニヤに話したほうがいいとアドバイスをくれる

 

耳が遠くてもさ、何とかしてマットと話そうや。なぁデュプレ。

治療法見つけたら、また会いに来るからね。それまでこの賑やかな酒場、ブルーボアを妻と一緒に盛り立てていってくれね。

 

髪が足首まである女性、はとのレジー

・コーブの生まれ。コーブは愛情たっぷりの町

・鳥のように歌うのが仕事

・ニュースを聞かせてくれる。アータゲルがやさしさの神殿に瞑想に行った。だけどいまだに帰らない

・アータゲルはヒーラー

 

不穏なニュースだな!

しかしコーブはそんなにいい町なのか。優しさの神殿があるところだものね。

「優しさ」の神殿って。命名者すごいな。そんな温かい名称の神殿に町が見守られているなんて、住人としては誇り高いだろうね。弘前にもしそんな神殿があったら、わたしが市長なら絶対観光名所にするわ。

……ウルティマⅥの時代は「観光名所」なんて考え方、ないだろうなー。きっと、神聖極まりない場所だろうしね。

 

 

これであらかたブリタニアの町中は巡ってきた。

では何故タイトルが「中編」なのか。紹介しきれていない箇所は何か。

それはブリタニアの町中で出会った人々だ。

 

町中にいる人数はそれ程多くはないが、ウルティマⅥらしく各々の名を持ち、人生を生きている。彼らと言葉を交わすことは、とても豊かなひとときだ。特に印象的な人物といえば、ジプシーの王様であろう。

次回、後編ではそんな彼らを紹介する。後編を終えたら、ブリタニアでやり残した事柄を片付けたのち、ついにコーブへ旅立つのでお楽しみに。

また、時間を空けずに投稿できたらと思うので、引き続き見てやってほしい。

スマホアプリForestでスマホ断食してみたら、人生が楽しい

最近アプリでスマホ断食を始めた。

 

スマホは大人のおしゃぶり」というパワーワードが、一時期SNSで広まった。

言い得て妙である。スキマ時間にスマホを見つめる生活が当たり前になってしまった現代。わたしも近頃、スマホとズブズブの関係になっていることに危機感を覚えるようになってきた。

 

人をダメにするクッションの上でスマホ。布団に寝転びながらスマホ。休憩や移動の合間にスマホ。そして開くのはSNSや漫画アプリ。スマホには刺激的な情報が溢れている。情報は脳の清涼飲料水だ。

 

そして人は一度行動し始めると、恒常性というものが働く。

一定の状態を維持したくなる、変化するのが億劫だという気持ちが湧いてくる。やめられない止まらないだ。

こうして気づくと1時間、2時間、3時間と、スマホと共に、ほぼほぼ中身のない時間を過ごしてしまう。

 

時間消費だけで済むならこんなに悩みはしない。スマホとダンスした結果、脳が情報で刺激され、疲労感に襲われ、悪くすると自己嫌悪に襲われたりする。

どうにかしてネガティブな感情を退けたい。そう思い、スマホ断食を決意。

きっかけになったのは、スマホアプリ「Forest」である。

 

 

Forest

スマホ中毒対策を謳っており、2016年にリリースされた歴史あるアプリだ。

 

www.forestapp.cc

 

スマホに触れていない時間をタイマーで測り、一定時間が経過すると木を植えられる。

課金(買い切り。220円程)すると様々な機能が開放され、許可したアプリ以外を移動すると木が枯れる仕様になっている。

スマホ触ると木が枯れちゃうから、スマホから離れて生活しようね、という仕様だ。

 

特筆すべきは「実際の木を植える」ことができるという点。

Forestでは木を育てきったご褒美にコインがもらえる。

コインは通常、植える木の種類を増やすため使うのだが、課金(再度言うが220円程。安い)した上、2500コインためると、地球上に本当の木を1本増えることができる。

これがかなりガチな取り組みで、植樹活動団体「Trees for the Future」とパートナーシップを結んでおり、2021年9月頭現在、118万本以上の植樹を依頼しているのだとか。

 

trees.org

 

スマホを触らないだけで環境に優しくなれるというのは、自然大好き人間としてはモチベーションが上がる。

何年前か覚えていないが、1度アプリを使っていたことがある。当時はすぐにスマホの誘惑に負けてアンインストール。習慣化までは至らなかった。

そんな過去もあり、不安になりながらの再スタートだったが、ノースマホの時間が異様に充実していたので使用2日目にして課金。月額制なら迷ったが、買い切り220円なんてタダと同値ですよ。安い安い。

 

始めたての画面はこんな感じ。

 

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8月末まで続けると、こう。

 

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もさもさもさ

 

いいでしょう?わたしの森。

頑張った証として森が徐々に育っていく、その過程が楽しめる。

 

さらに、2500コイン貯めて本当の木も植樹。

2500なんて何日かかるんだろうと憂慮していたが、何のことはない。1週間もたたずに植えれます。

 

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記念すべき1本目の木

 

スマホ断食の感想

スマホからは次々情報が流れてくる。文字・画像・映像。あれも見たい、これも見たいと思って面白そうな情報を延々と追っかけていた。

スマホ絶ちをして、自身を改めて振り返ると、追いかけていた情報自体には然程興味がなく、ただ飢餓感に似た感情だけがあったことに気づけた。

これらの情報を食べていけばいつか満足できる。そう思いながらも満たされず、スマホを触るループを繰り返していた。

怖いね。飢餓感に気付けてよかった。

 

スマホを触らない間、家事をしたり、仕事をしたり、はたまたこうしてPCでブログを書いたり(PCは触るんかいとツッコまれそうだけど、PCは触る)。やるべきことに集中する力は少し強くなった。ゲームやTV、読書といった娯楽も、没入感が高まった気がする。云わば充実、圧倒的充実。

旦那に「スマホやめると人生が楽しい」と本気で言ったら、「どんだけ依存してたの」と言われた。ほんとそれな。

 

もちろんスマホが全部ダメというのではなく、わたしのように距離感を誤ると悪影響のほうが大きくなるので気を付けようという話。

ネガティブな気持ちに陥りやすく、スマホとの関係性を見直したいという方は、よかったらForest、試してみてくださいな。一緒に森育てましょ。

何者にもならないかもしれない9月だけど、それがなんだというのだ

9月になった。9月!

7月から8月にかけての、コンクリートすら融解するのではという盆地特有の暑さも過ぎ去り、風が冷たさを帯びてくる季節だ。

新緑も若々しく鮮烈な色合いから、やや渋みを増し大人びた顔になり始めた。今年は自然散策に全く行っていないのに、その微妙な変化に気付けるのは、ひとえに町中に緑が多い弘前市のおかげだろう。

 

 

やっと9月が来たぞ!という感覚はない。

コロナ禍を言い訳にするようだが、今年は例年に比べ、やけに時が経つのが早い気がする。特に、1〜6月は光陰矢の如しだ。

どうしてだろう。この時期は何をしてたっけ?と思い日記を見返してみる。しかし本文に目を走らせても、過ぎ去る早さの理由はわからない。日記には1日1日がわりと詳細に書かれているし、好不調はあるものの、毎日それなりに楽しそうに過ごしているのだ。

まあ、過去に謎を投げかけるのはやめにしよう。考えれば考える程、疑問が脳で循環して、余計に訳が分からなくなってくる。目の前にあるのは、ただ「今」だけだ。

 

そういえば、8月後半からスマホ断食を始めた。おかげで、ちょっとだけ「今」を意識する力が強くなった気がする。

スマホ断食を促進するため何を使うかというと、スマホ断食促進アプリを使うのだ。「スマホを使わないとスマホ断ちができない」というのはパラドックスが生じるが、とにかく生活リズムが整っていい感じだ。

使っているのは「Forest」というアプリ。植物がテーマというのも気に入っている。別記事でもう少し詳しく紹介したいので、ここでは多くは語らない。「今」を意識する力をちょっと上げたいよって人は、アプリに頼るのもいいんじゃないかな。合う人には合うと思う。わたしみたいに。

 

 

ブログを始めて3ヶ月たっても、ちょいちょいブログについて悶々と考える。

あのときはこうブログに書いたのに、その通りに出来てないなとか。以前書いた内容を読み返すと、別人が書いた文章に思えるなとか

「何らかの決意を固めたら、その決意は確固たるものとして持ち続けていたい」というか。いや「持ち続けなければならない」に近いかもしれない。そんな思い込みが、ある。

それなのに現実のわたしはかなりの気分屋で、その時感じたことが全てだったりする。理想と現実が剥離してしまっている。だから時たま苦しくなるのだな。

まあしかし、今こうして文字にしたことで剥離事実が明白になった。喜ばしい。これから先はまた少し生きるのが楽になるかもしれない。

 

 

9月のテーマ。になるかはわからないし、気分屋なので今日明日ですっかり記憶の彼方へ消えてしまうかもしれないが。30代という輝かしい人生の最中、掲げておきたいことについて。

「自分は何者にもならぬかもしれない」という事実を早く受け入れたいと思う。

 

大好きなブロガーの方が書いた記事を、今でも何度も読み返すのだが、その中から引用する。

 

あなたのブログはだれにも届かないかもしれない。あなたのブログは一切の収益をあげないかもしれない。あなたのブログは誰も笑わせもしなければ、悲しませも、怒らせもしないかもしれない。それがなんだというのだ。今、おれの横で三羽目の孔雀が死んだ。

ひょっとしたら、おれはあなたのブログに共感し、あなたの言葉に涙するかもしれない。そんなことがあるかもしれない。ないかもしれない。そんなことはどうでもいい。ただ、あなたのブログ人生がよいものでありますように。はてなブログが百年続きますように。

 

blog.hatenablog.com

 

名文だ。

名文がゆえに、心を刺す。

 

自分には「何者かにならねばならない」という思いが幼少期からあった。理由はわからない。

厚顔無恥だな、という思い出が中学時代にある。下校途中、わたしは友に「自分はお札に顔がのりたいんだよね」と言ったのだ。確かに言った。

何でだよ。と今ならツッコめるが、たぶん当時は本気だったんだろうなぁ。何故お札の顔になりたいと思うのか、心の内を、その深層を探ることなく、言葉にしたのだろう。

その話を「そうなんだ」と淡々と受け止めてくれた友には、今でも感謝している。

 

承認欲求に飢えていたのかわからぬが、

「今の自分より、もっとよい自分にならねばならない」

「人生は、そして人間は、階段を上がっていくように、レベルアップしていくものだ」

と考えていたに違いない。

思春期の強烈な欲求の余波は、30代でも尾を引いているのだ。

ブログの中でさえ、わたしは「自分ではない何者か」になりたがっている。

 

あなたのブログはだれにも届かないかもしれない。あなたのブログは一切の収益をあげないかもしれない。あなたのブログは誰も笑わせもしなければ、悲しませも、怒らせもしないかもしれない。それがなんだというのだ。

 

それがなんだというのだ。なんだというのだ…。

「それがなんだというのだ」、この言葉を文章に出来る、その逞しさが、今1番欲しい。欲しい者リストに載せたい。いや、他人からもらってもどうしようもないけど。

 

何者にもならなくても、己自身が、己の人生が尊ければよい。

書くことが、人生の最良であるなら、書けばよい。

9月はその事実を頭にめり込ませ、浸透させる勢いで過ごしていきたい。

 

うん。みんな、9月も自分を大事にしようね。