書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

2022年8月も終わりに近づいてのボヤキとか

単なるボヤキの文章です。まとまりがないとだけ、最初に述べておきます。

 

どことなく調子が悪い日が続いている。天気のせいで体が重かったり、意志を上手く伝えられなくて悶々としたり、そもそも疲れが溜まっていたり。爽快な気分で朝を迎え、充実した思いで布団に入るというのは、なかなか難しい。

どうしようもない心地がしてきて、鬱々した気分をブログにぶつけてやれ、と昨晩久方ぶりにブログを書いたのだが、気づいたらテクテクライフの紹介記事書ききってた。不思議な気分だった。

 

 

最近PCを触る機会が減った。スマホがあまりにも手軽すぎる。漫画にもゲームにも動画にも片手でアクセスできる。寝転がって親指ですい、すい、と画面をスクロールするだけで、現実逃避の無限回廊へダイブできる。この親指が壊死しない限り、わたしは現実のあらゆる痛みから守られる。

 

PCに触る機会が減ると、ブログを書く機会も減る。スマホで執筆を試みた経験もあるが、フリック入力とタイピングの速度差に辟易しやめた。意識的にPCに触れる機会を増やせばいいのだが、そんな気も起きず。書きたいという強い欲求が起きず、いや書くんだと心を奮い立たせてキーボードで文字入力するも結局形にならず、無性に落ち込んだ。

 

以前の記事で「ブログ毎日書けるかも」と述べ、その通りに行動できないことにへこんだりもした。わたしが気分のままに書き散らした文字列に実質的な拘束力など無いのに、宣言した言葉には責任が宿ると思い込み、己を縛る。安い呪いだ。誰がわたしに「毎日書かないなら責任を取れ」と賠償を求めるというのか。それは頭ではわかっているが、予定した通り動かねば、誰かの期待を裏切るかもしれないとも感じていた。これは脳みその自動演算で生まれ出づる呪いなのだ。どうしようもない。

いつからわたしはそんな偉大な人間になったんだ。烏滸がましい。謙虚に生きろ。文字で振り返ると己を叱咤できるが、現実ではなかなか気分は浮上しなかった。

 

ブログをこのまま書けなくなったらどうしよう、別の趣味を見つけねば。と、マッサージの本を買ってみたりした。旦那に「たけなみは趣味じゃなくて、技術が欲しいんじゃない?」と言われた。確かに。わたしは常に頭のどこかで老後を考えている。おばあちゃんになっても食いっぱぐれずに生きていける技術、人と繋がる手段を欲している気がする。その根底が不安からか、自信の無さからか。わからぬ。

 

老後に対する答えなど現時点で出る訳もなく。テクテクライフをしたり、マッサージをしたり、あてもなくふわふわ過ごし、ふとPCを開いたある日。旦那に「あ、ブログ書くの?」と言われ、まあ…何か最近調子悪いことでも書きなぐるか、と思って何となくキーを叩き始めたら止まらなくなった。近況報告がてらテクテクライフを語り始めたら、近況の枠に収まりきらなくなって、別記事にして書き上げた。

 

結局文字を書くことが楽しいのだろう。頭でぐるぐる思考していると、書く行為に快楽など感じれないが、ぐるぐるが止まったら楽しい。気分がのったら楽しい。それだけだ。書けないときは書かない。書けるときは楽しく書く。たぶんわたしの場合はそれくらいのハードルの低さでよいのだろう。

誰かの役に立つ文章を書くのが一番尊いと思う。人は行為で価値を生み出し、社会に貢献するべきなのだ、きっと。だけどわたしはこれからも細々と、自分にしか価値のないブログを書いていくんだろうな。わたしの人生がこれ以上息苦しくならないように。わずかでも饒舌でいられるように。ブログはそんな立ち位置でも、まあ、いいか。

埋める作業が好きなので、位置ゲーアプリ「テクテクライフ」を始めた

最近、テクテクライフを始めてみた。

 

www.tekutekulife.com

 

以前はテクテクテクテクの名で発表されており、サービス終了後、ゲーム内容をアレンジして再リリース。Pokémon GOやドラクエウォークのように、実際の地図と連動して遊ぶ、所謂位置ゲーだ。

 

メインは地図塗り。

スマホGPS機能を使いながら、歩いた街区を記録。記録された場所はそれとわかるよう点滅し、点滅部をタップすると街区が「塗られる」。歩けば歩くほど塗った地域が増え、地図が色で染まり、「現在、市内●●%を塗っている」かもわかる。

埋める作業にカタルシスを覚える人間であるわたしには、もってこいのアプリだ。運動不足解消にも一役買っている。

 

では現地に行かねば塗れないのか、否。

 

テクテクライフには「げんちぬり」と「となりぬり」の2種類の塗り方がある。

「げんちぬり」は名前通り、現地に行って記録した場所を塗っていく塗り方。

「となりぬり」はTTP(テクテクポイント)を消費し、既に塗られた場所の「隣」の街区を塗る方法だ。となりぬりで塗った場所の、さらに隣をとなりぬりで塗ることも可能。青森県を動くことなく、北は北海道、南は秋田・岩手までもとなりぬりで塗れる。楽しい。

 

じゃあ全部「となりぬり」でいいじゃん?と思うかもしれぬ、甘い。

「げんちぬり」で塗った場所は素の状態の灰色から緑色に変わるが、「となりぬり」だと赤色になる。塗ると経験値がもらえてレベルが上がるが、「となりぬり」は経験値が1/4に減るのだ。

埋める作業が好きな人間が、地図上が灰と緑と赤のまだらで満足するはずがない。緑一色で埋めてこそのコンプリート。運営さんもお人が悪い、よく我々の特性をわかっていらっしゃる…。

 

 

位置ゲースマホの電池を食うのではと懸念していたが、2時間程度の散歩なら充電器無しで余裕でいける。1か月1GBの弱小パケットでも動作しているので、月半ばにはパケットが底をつく貴方にもおすすめ。

ただ、謎のエラーがちょくちょく表示され、気づかず歩いていると、全然塗れてなかったりするのが唯一の難点。ポケットに入れて歩くうちに、スマホがスリープ状態になるためか、弱小パケットのせいでアプリの処理が追い付かないせいか、And●oidだからか。理由はわからぬ。

塗るという行為を前にしてエラーなど些末な問題だが、ちょっぴりストレスは溜まるのでご注意を。

 

 

何故テクテクライフを始めたかというと、まあ運動不足だったからだ。

1日10000歩歩くと健康に良いと聞きつけ、走ったり筋トレしたりは苦手だが、まあ歩くくらいはできるだろうと。どうせ歩くなら何か目的が欲しいと、位置ゲーを探し始めた。

Pokémon GOならポケモンを捕まえバトルする。ドラクエウォークならパーティをレベルアップさせ物語を進める。テクテクライフなら地図を埋める。

アプリを見比べ、スマホ容量と自分の嗜好とがマッチしたテクテクライフをダウンロードしてみたら、意外と面白かったというわけ。

 

 

散歩のよいところは景色が変わる点、そして、ながら運動ができる点だ。

室内では、同じ景色を眺めながら運動に勤しむことになる。行為に集中できるという意味ではよいだろう。が、飽きっぽいわたしには向いていない。移り行く景色、匂い、肌触りは、普段見慣れた風景でも刺激的に感じられる。

景色すら単調に思えたら、スマホでラジオや音楽を聴けばよい。耳を楽しませながら、無心で歩く。好きなお笑い芸人の番組の最新回を聴きながら、運動もできる。暇つぶしにもぴったり。

 

 

そんなわけでテクテクライフ、飽きっぽいのでいつまで続くかはわからないが、ゆるゆる楽しんでいきたい。

スタンプラリーといって、各地に設定されたチェックポイントを巡るチャレンジがあるのだが、とりま弘南鉄道大鰐線ラリーを制覇したい。大鰐行くぞ大鰐。みんな弘南鉄道乗ろう。

 

運営さん、面白いアプリを本当にありがとうございます。ぜひこの先もサービス継続していただいて、ぜひフレンド機能の実装をよろしくお願いします。

歩くぞ~~!

35歳、髪を切った

ようやく髪を切った。

自分で切ったのではないのだから、正確に言うと「切ってもらった」。悪い運ごと落ちた気がした。モサモサと生え散らかした髪は、ストレス源となっていた。

女性が気持ちを切り替えるには髪を切るといい。それは本当だ。気分転換になるし、わたしの場合はショートカットだから、外を散歩するたび首元を風が通り抜けるのは気分がいい。髪のせいにしたくなるほど、最近は憂鬱なことが続いていたから、頭が軽くなるだけで心も軽くなる気がした。

 

 

なにで鬱々としていたんだろう。ブログに書けない出来事が多すぎたのかもしれない。日記は感情にまかせた文字を羅列できるが、ブログはささやかながら人の目を意識している。感情を希釈し、第三者が「飲める」程度に己を客観視して書きたいと感じるようになった。見ず知らずの誰か(あるいはわたしの顔となりを知る誰か)のグラスに原液を注ぎたくはない。

だから今こうしてパソコンに向かっているわたしは、かなり落ち着いている。最近何があったか振り返っていく。

 

 

まず手始めに大雨があった。

8月。3年ぶりに青森各地では夏祭りが開催された。青森ねぶた祭り、八戸三社大祭五所川原立佞武多、そして地元弘前弘前ねぷた。見上げるほどの山車、太鼓にお囃子の音色。青森に夏が帰ってきた気がした。

初日から天気は怪しかった。何とか運行はできたものの雨がぱらつき、観客側はひやひやした。何とか全日程運行を終えたと思ったら、青森を狙い撃ちしたかのような大雨続き。自身に影響は少なかったものの、友人たちに避難指示が出され、楽しい夏休みシーズンだというのに落ち着かない日々が続いた。

 

 

次にコミュニケーションの下手さを痛感する出来事が続いた。

わたしは大人数の中で話すのが苦手だ。2人なら、キャッチボールをする相手が互いしかいないので必死にやりとりするが、3人以上となると困ってしまう。相手の反応が気になりすぎて、喋りたいことを喋り続けることが出来ない。上手く喋らなきゃ、取り繕わなきゃと思いすぎた影響か、見知った相手に失言する機会が増えた。

『言葉は、言霊だ。ポジティブな言葉を選ばなければならない。口から出た言葉は返ってこない』

体に染みついた考えが、呪いのように覆いかぶさってくる。過去を変えることは出来ないなら、行動を顧み変えていくしかできないのに。どうしようもなく落ち込んでしまう。

会話が「好きじゃない」と振り切れれば楽なのに。こちらに主導権さえこなければ、話を聞くのは楽しい。ラジオを聴く機会も増えた。しかし現代はコミュ力が問われる。コミュ力こそ令和の刃。コミュ力の低さに枕を濡らす夜があるのも致し方なかろう。

 

 

極めつけは子宮だ。

 

昨年。齢34を過ぎて「子供を持ってもいい」と考えるようになり、妊活を始めた。周りに経緯を話すと「早めに産婦人科で診てもらうといいよ」と言われ、重い腰をようやくあげ、今年5月に産婦人科にかかった。

1~2週間おきに診察が続き、計7回ほど行ったところで子宮年齢が閉経間近だと告げられた。念のため紹介状を書いてもらい大学病院を受診。診察結果は同様。もし子供を希望するなら、自然受精・人工授精の段階を飛ばし、体外受精でないと難しいらしい。

今年から不妊治療に保険が効くようになった。その影響で治療希望者が増え、もし体外受精を行うなら年末頃からの開始になる。先生はとにかく真摯に話をしてくださった。心配していた医療費に関しては高額医療費制度がある、そして我が弘前市不妊治療に補助金が出るという新事実も教えてくれた。

妊活の懸念点が1つ解消された。とても嬉しかった。

しかし結局、わたしは体外受精をしないと決めた。

 

大きな要因は「自分の子供が欲しい」と思ったことがないと気づいたからだ。妊活を始めてからのわたしは「旦那に子供を持たせてあげたい」「寂しい老後にしたくない」と考えていた。まだ見ぬ子供に、わたしのエゴを押し付けているだけだと気づいた。

病院で受けた卵管通水検査が、めちゃくちゃ痛かったのもある。出産はこの10倍痛いよと言われると、正直怖かった。

体外受精もスケジュールを細かく立て、色々な段階を経なれければならない。心身ともにようやく整ってきた生活が、「妊娠」中心に様変わりする。ストレスにめっぽう弱い自分がメンタルを崩すのは容易に想像できた。

 

子宮年齢が閉経間近だと教えてくれた先生は、わたしが理由を尋ねると「特にない」と話してくれた。白血病や癌など大きな病気も原因の1つだが、そうでなければ人の体によりけりだと。だから気にすることはない、あなたのせいじゃない、と告げてくれた。その言葉をかけてくれ、的確に診察をしてくださった。お世話になった先生は皆いい方ばかりだった。感謝している。

でもわたしは思う。やっぱりわたしのせいだなと。子宮年齢には多かれ少なかれストレスが影響するらしい。若き頃よりストレス耐性のなかった自分は、周りに恵まれていたにも関わらず、自己肯定感の低さから無駄に体に負荷をかけていたと思う。本当のところは誰もわからないけど。

 

体外受精をしないと、旦那と話し合い2人で決めた。私の体を第一に考えてくれた旦那、報告の際に我々の考えを尊重してくれた両親には感謝している。

2人(とオカメインコ)だけで生きていく未来を考え始めたのは、ごく最近だ。まだ不安は多い。

 

 

そんな不安を吸い、モサモサと大きく成長した髪の毛を、わたしは切った。毎回旦那が切ってくれるのだ。頭が上がらない。

軽やかな足取りになるほど、未来の見通しはよくない。かっこいい35歳になったとは口が裂けても言えない。

ただ。髪を切っただけで、もう少し頑張るかという気になれるなら。もうちょっと生き続けてみるかと思えるなら。そんな単純な自分が好きだなと思えるのだ。

 

フランスのディズニーのCM、いいな

フランスのディズニーランドのCMをSNSで発見。大好きな鳥類が描かれていたので、思わず視聴してしまった。

何だこれ、めっちゃ泣ける…。隣に旦那がいるのにボロボロ泣いてしまった。

 

CMの内容。

家族で草むらを歩いているアヒルの親子。ある日、子アヒルがドナルドダックの絵本を見つける。子アヒルはドナルドを気に入り、晴れの日も風の日も雪の日も本を読み耽る。ドナルドのポーズを真似したりしてみる。

だがアヒルの家族は海を渡るため、今の住処を離れなくてはならない。家族が次々空へ飛び立つ中、子アヒルは何とか本を持っていこうと本の片隅をくわえて羽ばたくが、その小さい体に本はあまりにも大きい。結局絵本を離してしまう。

子アヒルが飛びながら後ろを振り向くと、絵本は海へ沈み、みるみる水にしみていった。

新たな住処につき、家族と体を寄せ合って眠る子アヒル。頭の片隅にはドナルドの姿。朝。空が晴れ渡る中、失望を抱えた子アヒルが外へ歩いていくと、大きな影が彼の前に伸びる。見上げるとそこにはドナルドダックが。そう、ついたここはディズニーランドだったのだ。ドナルドが両手を広げて子アヒルを迎える。子アヒルは喜びを爆発させドナルドの足首にひしと抱きつく。

 


映像見ても泣いたけど、こうして書いていても何かがこみ上げてくる。夢を追う健気な姿、誰の前にも否応なく訪れる現実、そして大好きな存在が目の前に現れる瞬間。純粋できらきらしたそれを映像で表されちゃたまらんよ。

まあ実際、子アヒルは空をあんなにぱたぱた飛べないし、色々と嘘や脚色はある。お涙頂戴と言われればそれまでだが、それがどうした。フィクションは素敵な夢を見せてくれる。夢だと知りつつ心を震わせ、明日を生きる糧にする。それがいいんじゃないか。それでいいじゃないか。素敵な夢をありがとうディズニー。

あぁ、ディズニーランド行きたいなぁ。

 

 

わたしの冗長な文より、実際のディズニーのCMを見てくれ↓↓

youtu.be

TRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)」のすすめ

D&Dを遊んでいる。

D&Dは「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の略である。剣と魔法の世界を舞台に、プレイヤー演じる冒険者たちが世界を旅する、ファンタジーTRPGだ。

日本で「TRPG」というとクトゥルフ神話TRPGが専ら人気だが、アメリカにおけるTRPG人気は圧倒的にD&Dが支えている。ドラゴンクエストにも影響を与えたRPGゲームの始祖中の始祖だ。

 

世界大国アメリカの心を鷲掴みにするD&D。TRPGプレイヤーの端くれとして、1度その魅力を体験したいと思いたち、Twitterで声をあげてみた。D&D界隈の皆様のおかげでツイートは拡散、経験者gomaxさん(@gomax20141)のショートセッション会に参加することと相成った。

 

注:筆者が遊んだのはD&D5版になります。他版とはイメージが異なる点、ご容赦ください

 

 

オンライン上で開催された会では、システムやキャラクター作成の説明から、簡単な戦闘シーンまでをトライ。

体感はシミュレーションRPGに近い。オンラインセッションサポートツールであるユドナリウムを使用し、マップ画像を表示。マップ上にマス目(グリッド線)があり、マスの1つに作成したキャラクター駒を配置。キャラクターの移動力に応じて、駒を手動で1歩、2歩と進め、敵を攻撃したり魔法を使ったりする。

 

udonarium.app

 

gomaxさんは、D&Dの魅力の1つに「想像力次第で、多彩な行動ができる」点をあげてくださった。

RPGなので単純に攻撃したり防御したりはもちろん、ボスモンスターを鷲掴みにし自陣へ引きずってきたり、ダンジョンの壁をよじ登ってみたり、魔法の効果を戦闘用途以外に応用したり。「こんなことやってみたい!」と思った内容を、D&Dのルールが幅広くサポートしてくれるという。

 

1回で全てのルールは理解できなかったが、何だかとても楽しかった。

そもそもシミュレーションRPGのシステムが好きだし、ファンタジー世界も大好き。用意してくださったマップ画像も雰囲気があり、世界観に浸れる。おまけにBGM付き。

ダンジョン&ドラゴンズ」とあるように、ダンジョン探索が物語のメインになるが、単調だと思う無かれ。探索から戦闘までがシームレスに表現でき、ストレスのない設計になっている。

ここではないどこかを、実際に仲間と旅している気分が高まり、1回のセッションだけでその魅力にはまってしまったのである。

 

ありがたいことに、その後すぐにお誘いいただき、「ファンデルヴァーの失われた鉱山」というキャンペーンシナリオに参加できることになった。

2022年2月にD&Dに出会い今に至るまで、仲間と楽しい冒険を続けさせてもらっている。

 

注:卓によって手法は人それぞれですので、どんなセッション形式かは必ず卓のDMさん(ダンジョンマスターの略。D&Dにおける語り部ゲームマスター)に確認してくださいね

 

 

2022年7月現在、日本においてD&Dを取り巻く環境がちょっぴり変化した。

今年6月、公式ルールブックの日本語版を担当していたホビージャパンさんが、契約期間終了を理由にサポート終了。参加者必須のルールブック、プレイヤーズハンドブックも流通分を残して品切れの状態だ。

 

 

ホビージャパン版 プレイヤーズハンドブックの紹介はこちらより↓↓

製品情報 | ダンジョンズ&ドラゴンズ日本語版公式ホームページ

 

 

ちなみにサポート終了と同時に、別なD&D日本公式アカウントが誕生している。今後はこちらからのアナウンスを待ちたいところ。

 

 

D&Dを遊ぶなら、プレイヤーズハンドブックの所持は必須と言っていいだろう。

TRPGでよく話題になるマナー問題はもちろんのこと、参照するルールがなかなかに膨大なのだ。

「「こんなことやってみたい!」と思った内容を、D&Dのルールが幅広くサポートしてくれる」と述べたが、ルール上何でもできる故に、ルールブックと睨めっこする時間も多い。文章を読むのが苦手な方は、少しつらいかもしれない。

 

ショートセッション会のときから、

プレイヤーズハンドブックお勧めです!

と声掛けいただいていたが、恥ずかしながら当初は値段に躊躇していた。税込6600円はなかなかな買い物。もし遊ばなくなったら棚の肥やしになってしまう。

しかしプレイヤーズハンドブック、モンスターマニュアル、ダンジョンマスターズガイドと、結局3冊も揃えた今は断言できる。

 

「プレイヤーズハンドブックお勧めです!!!」

 

まず本の質感が最高にいい。重厚感のありツヤのある表紙。

開くとその文字の海に驚く。350ページを超える情報量は伊達ではない。

その厚みに関わらず、ページをめくりテーブルに置くと、絵本のように開いたままの状態にできる。これ、ルール参照にめちゃくちゃ便利。

そしてフルカラー&美麗イラスト!!!ファンタジー世界を彩る個性あふれる種族や、クリーチャー、アイテムが贅沢にもびっしり描かれている。

もはやプレイヤーズハンドブックはツールではない。コレクターズアイテムなのだ。読んでいるだけで豊かな気持ちになる。

 

とはいえホビージャパンさんもサポート終了だし、結局正規の値段でルールブックは手に入らないんでしょ…と思った貴方。朗報です。

ホビージャパンさんは、なんとPDFのベーシック・ルールを公開したままにしてくれている。これは現行最新版、D&D5版のいわゆる簡易版のルールブックだ。

まずさっくりとD&Dの世界を体験したい方は、ベーシックルールをぜひダウンロードしてみてほしい。

 

hobbyjapan.co.jp

 

日本のD&D環境がどうなっていくかは未知数だが、皆が楽しくD&Dを楽しめる良質なルールブックが、公式から販売されることを祈ってやまない。

 

 

なりたい自分になれる世界、未知数な冒険が待っている世界、そんなD&Dをこれからも楽しんでいきたいと思う。せっかくマスターズガイド(DMをするために必要なルールブック)を買ってしまったのだから、いつか簡単なセッションをまわせるとよいな…。

 

もしこの記事で興味を持った方がいたら、ぜひD&Dへ繋がる扉を叩いてみてください。案外不思議な縁で、冒険の道が始まるかもしれませんよ。

 

 

【漫画感想】推しの子4~5

推しの子」4〜5巻の備忘録&感想です。

内容にネタバレを含みますので、ぜひ読了後にお読みください。

 

 

 

 

推しの子4

 

 

その人に言われたの

もし私がアイドルになったら推してくれるって

その時からずっと

アイドルになる事を夢見てた……

 

物語の概要

黒川あかねと形だけのお付き合いを始めるアクアを横目に、アイドルグループ新B小町に新たなメンバーが加入する。

ジャパンアイドルフェスでの初ライプも決定し、勢いにのるグループ。レッスンにセンター決めと盛り上がる中、アクアと有馬かなの関係がギクシャクし始める。

ルビーの夢が形を成し始める、汗と熱意の第4巻。

 

 

ネタバレ感想

打ち上げエピソードについて。あかねがこれ以上誰かに傷つけられる図式を見たくなかったから、現実的に物事を考えてくれてホッとする。

アクアの「俺はあかねに女優として強い興味を持っている」の台詞。嘘は言っていないんだ嘘は…。

妥協点というか、落としどころを見つけて2人が前進する様子、ほろ苦くも良い関係性だと思う。わたしは夢や理想だけで人が繋がるのは難しいと思っている。弱さを開示し、認め合い、許し合いながら生きるのが愛ではなかろうか。あかねとアクア、よき仕事仲間でいてほしいな。

 

新生B小町だが、有馬かなの葛藤が多く描かれていた。彼女は真面目な子だ。グループのため、誰かの期待に応えるために生きてきたから、わがままに振舞えない。でも誰かが応援してくれるなら、いくらでも努力できるし、逆境をバネにして輝ける。

今回もルビーやアクアに翻弄されつつも、最後は自分の足で地を踏みしめる姿をしっかと見せてくれた。

そんな泥臭くしたたかな有馬と、あかねが次巻でガチガチに激突する。相変わらず展開のエグみがすごい。好きだ。

 

ルビー、まだアイが持つ輝きの片鱗しか見せていないが、これからどう化けるのだろう。アクアだけでなくルビーが壁を乗り越えるエピソードも楽しみで仕方ない。

 

 

推しの子5

 

 

 

 

物語の概要

アイの秘密を探るため、2.5次元舞台に出演を決めるアクア。

黒川あかねと有馬かな、そして劇団ララライ看板役者・姫川の才能が火花を散らす。素晴らしい舞台になるかと思われたが、脚本の原作者・鮫島アビ子が見学に訪れ事態は急変する。

感情と記憶に翻弄され始める、第5巻。

 

ネタバレ感想

舞台に携わる仕事をしていた際、感情を動かせとよく言われた。単に台詞を言うのが役者の仕事ではない。キャラクターの心情を、実際に役に成り表現しなければならない。見せる技術が稚拙でも役者の心が動いていれば、お客様に伝わると。

ではどのように感情を動かすか。自身の過去の記憶を精細に掘り起こしたり、当時の肉体的状況を再現することで外面から内面を揺り動かしたり、黒川あかねのようにプロファイリングしたり。手段は様々だが、何ぶん感情は扱いづらい代物だ。演技が好きならいいだろう。当人の感情と、役の感情を分けて考えれるなら、役者は神にも俗物にも静物にも成れる、最高の職業だ。

何らかの理由で演技自体に嫌悪感を覚えたり、受け止めきれない感情や台詞がのしかかってくると、相当しんどい。アクアは目的のために己の壁を乗り越えていくんだろうか。

 

幸せや喜びを見つめるアクアを、ゴローの記憶が堰き止める。アイを救えなかった過去を見つめ続ける妄執に似た感情と、未来を掴み取ろうとあがく希望とが同居するラスト。ここで5巻が終わるのはあまりにも引きが強すぎる。

アクアにもルビーにも幸せになってほしい。

 

 

 

「推しの子」1〜3巻の感想はこちらから↓↓

clton.hatenablog.jp

 

ちょっぴり自信が持てた誕生日の夜

誕生日を迎えた。その記念すべき日にブログを書こうと思ったのだが、特筆して書くべきことが思い浮かばない。ので、だらだらと自分語りをする。

 

 

わたしは成長報告が好きだ。以前と比べてこんなに進歩した、次からはこんな風に頑張りたい、とブログでは記してきた気がするし、これからもイキイキと報告できる人生でありたいと思っていた。しかし今の自分はイキイキとは無縁の状態だ。停滞している気すらする。

 

たぶん欠点が目につくようになったからだろう。たとえば人に注目されるのが苦手だとか、会話するのが苦手だとかが可視化してきた。1対1で話しているとまだマシなのだが、3人以上いる状態で会話の主導権が手渡されると、途端に焦ってしまう。発言如何で相手に誤解されたくない、意図を完璧に伝えたい、だから考えがまとまってから喋りたいが、パス回しの速度は落としたくない。結局焦っていらんことを喋って、内心一人落ち込んだり。

完璧なんて目指すもんじゃないし、周囲もわたしが思う程わたしに注目してやしない。頭ではわかっているのだが。この齢にして、まだ欠点を完全に受け入れるには至らず、あがいている状態だ。苦手意識が強すぎて、喋りが上手くなるよう特訓しよう!という気持ちにもなかなかなれずにいる。

 

欠点にかまけて努力しないのは甘えだと思う。故に自分がどうしようもなく矮小に見える。ダメだダメだ、こんな自分消えて無くしたい、としくしく泣く夜も増えてきて、内心うんざりである。

とはいえ、チャレンジしている事柄もあるじゃないか、とここから少しだけ自分を鼓舞しておこう。

 

 

まずこの先1年間、英語学習とブログ記事執筆は、休まず行うと決めた。

英語学習は最悪1日1分でもよいとする。リスニング学習であったり、学習アプリ、単語本や文法本の読書でも可。とにかく英語に触れる癖をつけたい。

ブログ記事執筆は、少なくとも記事編集画面を開き、1文字でも入力することを最低ハードルにする。何はともあれ文字をタイプすれば、惰性で文章は書けるものだ。その積み重ねで投稿ができるはず。

 

英語を何故やりたいかといえば、目的は今いち微妙だ。目的はあったほうが良いに決まってるが、現時点で曖昧なのだからしょうがない。海外旅行もなかなか行けないし、英語を日常的に使う環境もない。

ただ強いて言うなら、ニュース記事や海外サイトを素読みできるようになりたい。あとYouTubeやアプリの広告でサラッと入ってくる英語を理解できれば、多くの情報にアクセスできる。海外で超人気のTRPG・D&Dを遊んでいるが、原文に直接触れれたら楽しいだろうな。

あと翻訳の仕事は在宅でもできるし、文字に触れる職業だし素敵だなと思う。実際に働く想像はつかないし、そもそも恐れ多いけど、モチベーションアップのためにもこうして発信しておこうと思う。

 

ブログ記事執筆を目標に掲げたのは、単に文章を書くのが好きだからだ。これほど心が穏やかになる趣味はない。

誰かのために文章が書けたら素敵だ。今は己の愉悦のみで書いているが、ブログで誰かが共感していただけるなら、これほど嬉しいことはない。現時点ではその方法論は微塵もわからないので、これこそ考えても詮無いことだが。

モチベーションや好意は繊細だ。執筆行為を嫌いにならぬよう、特に負荷をかけないようにしていきたい。

 

 

ここからは余談だが、誕生日に旦那におねだりして、苔ルーペをプレゼントしてもらった。予想以上にワクワクする。

 

苔ルーペはその名の通り苔観察におすすめなルーペ。わたしのものは10倍の大きさで観察できる。苔はもちろんのこと、人間の肌や布や紙、植物から素材まで、何でもかんでも覗き見可能。しかもルーペごしにスマホをかざすと、ミクロの世界を写真に収められる。

異様にテンションが上がるので、事あるごとに色んなものをルーペで観察していきたい。飽き性のわたしが飽きずに続けられるなら、そのうち何らかの目標もできるだろう。楽しみだ。

 

 

だらだらと自分語りをしてきたが、とりあえずこの先1年間、自分が立てた目標に沿って、できることを少しずつ取り組んでいきたい。

小さくとも確かな目標が立てれるだけで、以前とは違うわたしじゃないか。このブログを書きながらちょっぴり自信が持てた、誕生日の夜。

 

これから1年、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

去年の誕生日記事。

テンションが違いすぎて時の流れを感じる。ふふふ。見比べると楽しい。

clton.hatenablog.jp