書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

傘をさせているだろうか

この年になってくると、忘れられない出来事が増えてくる。
「忘れられない」と言っても、あまりに辛くてとか、悲しくてとか、重い話をする訳ではないので安心してほしい。

大学のために上京し、結婚して地元へUターンし、旦那とお店をして3年経つ。
つまらない小市民とはいえこうして時を重ねていると、印象深い出来事の1つや2つあって当然だ。

身が震えて叫び出す程の喜びを感じたこともあれば、無我夢中に一瞬一瞬を味わっているうちに、あっという間に通り過ぎていく煌めきの時間もある。かと思えば、感極まる程の心の痺れはないものの妙に心に引っ掛かって、何年単位で後を引くこともある。今回は後者、ずっと頭に残っているある人の言葉の話をする。


自分が6年間所属した劇団を辞め、初めて社会人の仲間入りをさせてくれたのが保険業界だった。元バイト先の先輩が、わたしを保険営業の世界に引き入れてくれたのだ。ようやく憧れの社会人として働けるという喜びに包まれたのは一瞬。早い人なら高校卒業、遅くとも大学卒業で社会人の仲間入りするのが一般的にも関わらず、わたしは短大を出たあと6年以上も遅れて社会人デビュー。コピー機の使い方すらわからず、研修先の講師に「その年にもなって」と指摘される始末。自分は初めて、演劇という世界に浸り、世間とずれた生活をしていたことに気付いた。井の中の蛙をよしとしてきた己の愚かさを省み、愕然とした。

結局、保険営業の仕事は自分に合わず1年で退職してしまうのだけれど、今でも時折思い出す印象深い出来事が、前述した講師の話なのだ。


わたしが入社した保険会社には、研修施設があった。(他の保険会社のことはよくわからない)
入社するとそこでまず保険営業になるための資格取得を勉強をする。資格を無事取得できたら、今度は実際に保険営業として活躍されてきた方を講師として迎え、どうやってお客様へ対応するか、社会人としての礼儀やマナーに加え、手紙の書き方やテレアポの取り方などを教えてもらう。時にはその講師と共にお客様の元へ出向き、伝え方、話しぶりを間近で見せてもらうこともある。
例の講師には、資格取得後の講習にてお世話になった。

保険営業は女の園なので、例の講師も御多分に洩れず女性であった。
本当かどうかは定かではないが、とにかく武勇伝が豊富な方で、営業成績でトップを叩き出したことがある伝説的な方だとか、極道の事務所に営業に行き、命がけでやり取りをした結果、親分の信頼を勝ち取ったことがあると仰っていた。

軸がぶれない、堂々とした方で、常に目が据わっているというか、とにかく物事に動じない意志を感じる方だった。
くだんのコピー機の件で「その年にもなってそれなのか」とピシャリとされたので、わたしはいつもビビり気味だったが、人としては尊敬していた。芯を射抜いて、心の柔らかい部分に切り込む形にはなるけれど、その方らしい思いやりをもって話をしてくれてるのがわかった。講師としても熱心で、この方に教わってよかったとも思っている。


説明はこの辺にして、印象に残っている話に入る。

どの場面だったかは忘れたが、その日は雨予報だった。
研修の一環として、例の講師と同期たちと共に、どこかへ向かって道端を歩いていたと思う。そこに小雨が降り出した。
わたしと同期たちは傘を手にしていたが、本降りではないのだからと誰一人傘をささなかった。
すると講師が、

「こんな時でも傘はさしなさい」

と言ったのだ。
そしてすっと上品な傘をさす。
わたしも同期たちもそれを見て、各々傘をさしていく。
確かそのあと講師は、こんなちょっとの雨でも濡れるんだから、自分を大事にしなさい的な言葉を話したように思う。


記憶に残っている場面はこれだけだ。端的で、あまりにも短いシーンだ。
当時のわたしは講師に何も言わず、ただ黙って傘をさしていた。
なのにこんなに後を引いているのは、わたしが雪国育ちだという点も関係してくる。

雪国で育ったちびっこは、ちょっとやそっとの雪じゃ傘はささない。吹雪になったら傘は意味ないし、道もそこまで広くない。視界も悪くなる。(全面的に個人の意見です)
それだけならまだいいが、自分の場合、知らず知らずのうちに矮小な自負を持つようになっていった。少々のことでは傘はささないもんだ。それが人間として偉いんだ、強いんだ、と。
東京でちょっとの雪ですぐ傘をさす人を見ると、「軟弱ものだなぁ!自分は雪国だぞ!傘なんてささないぞ!!」と「自分すげームーブ」を心の中で取っていた。

今思うと、その自負は自信の無さから来ていたのだとわかる。
他の人がやっていないことをしている自分、体を痛めつけている自分カッケーみたいな。


そんなときに「傘をさしなさい」という言葉を聞いて、「あ、自分って大切にしていいんだ」って思ったのを覚えている。
ボンヤリとした気持ちだったけれど、妙に納得感があったというか。重みを感じた。


その講師と別れてはや5年以上経つ。
保険営業の仕事からは離れ、真っ当とは言えないかもしれないが、日々忙しくありがたく働かせてもらっている。
小雨が降り出す道を歩くたび、これからも講師の言葉を思い出すだろう。
自分は傘をさせているだろうか。肩や手や足を濡らして、歩いてはいないだろうか。
言葉を思い出すたび、わたしはわたしを確かに大事に出来ている、そう思えるようになりたいと思う。


最後に今日の写真を。
わたし以上にわたしを大切にしてくれる旦那が作った夕食。ハンバーグ。
肉々しくて、ぎゅむっと噛み締めるたびに旨味が。あと新じゃがと人参の付け合わせも美味しい。人参なんてちゃんとバターの香りがしたぞ。どうやって調理してるんだ…。

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