書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

わたしの好きな弘前の夏と植物と

静かな弘前でも蝉の声が聞こえ始めた。

車の窓を開けたまま、信号で止まったときのことだ。

 

弘前の道路脇には青々とした木々が多い。彼らはどの木にへばりついていたのだろう。じいいぃぃ、と長々と声を響かせたあと、ふっと鳴き止んだ。ハンドルを握りながらも耳をそちら側へ傾けたが、聞こえるのは自分と周りの車たちの駆動音だけ。

ふと訪れたひっそりとした時季の境目。心がおどる。

 

自然が好きだ。

何故かと言われると原因究明に困るが、おそらく自然に囲まれた土地で生まれ育ったためだろう。

 

実家の周囲はりんご畑ばかりで、玄関を出てやや遠方に目を走らせると弘前市街がちんまりと見えた。少し車を走らせると人気のない山の入口にも行ける。

田舎にありがちな広い庭には、祖母が耕していた野菜畑。祖母が亡くなってからは手付かずになってしまった。それでも苺は毎夏勝手に小ぶりな実をつけ、おがり放題(おがるは津軽弁で成長するの意)のアスパラガスは、背の低い子どもの姿をすっぽり隠せてしまう程ぼうぼうになっていた。食べようと思えば収穫もできただろう。幼い頃、家族全員で庭でBBQをしたとき、アスパラガスをもいで焼いて食べたときのことは今でも忘れらない。シャキシャキとした歯ごたえとえぐみのない青い味わい。思い出補正もあれど、このときを超えるアスパラガスを今だ口にしていない。

 

寂しいことに、今現在この実家は他人の手に渡っている。

祖母が他界し、我々姉妹が家を離れたのち、両親が離婚。母1人で実家に暮らしていたが、妹が結婚し子どもが生まれたことで母は妹と共に暮らすことになった。

わたしもその当時は東京で役者の仕事をしていたから、青森に戻って実家で暮らすなんて選択肢は選ばなかった。

 

実家が跡形もなく無くなっていないだけマシと思おうとしているが、ふとした瞬間、実家があればなと思ってしまう。

穏やかな家族の思い出。鈴虫やコオロギらしき虫の音に、りんごの葉がそよぐ音。玄関出てすぐ右側にある秋田蕗の小さな密林。

わたしの感受性はこの人気があく、自然が身近にあった静かな環境で育まれたに違いない。

 

話は冒頭の弘前に戻る。

 

弘前は暑い。夏は暑く、冬は寒い。人口も少子高齢化の波を受けて、徐々に減ってきている。都会に比べたら仕事もない。そんな弘前に暮らしているのは、ここがわたしの地元だということ、そして旦那と営むお店があることが大きい。その次点で、自然の息吹が身近に感じ取れる点も大きな理由だろう。

 

弘前の、青森の自然は、いい。春夏秋冬のダイナミズムがある。

空気から季節を感じ取れる。

今の時期なら、夕方。夏は夕方だ。だって夏祭りがあるから。

山車が登場する随分前から、歩道で場所取りをする観客たち。今から始まる、これから始まる、といった祭りの熱狂が空気にじとりと溶けだして、ぬるく心地のよい興奮を伝えてくる。

新型コロナウイルスの影響で2020年、2021年と大きな夏祭りは中止になっているが、ねぷた・ねぶた・三社大祭弘前っ子なので、ねぷたを最初にあげてしまうよね)といった夏祭りは、年を重ねるごとにわたしの精神の中で特別な分野を占めつつある。

自然とは少しかけ離れるように思えるかもしれないが、厳しい冬があってこその、この熱い狂乱の夏だ。

 

夏は夕方。最近までそう思っていたし第一意見としては変わらないが、夏の昼は植物たちが1番元気な時期だということにも気づいた。

だって匂いが濃い。

青々とした木々、彩色豊かに咲き誇る花々たちは、かんかんとした太陽光線を全身で受け止めて、その生気を全面に押し出してくる。見て!我々を見て!!と、枝葉を縦横無尽に伸ばし、花びらを大ぶりにひらめかせ、訴えかけてくる。

風や川にのって、緑の匂いが鼻腔に届く。

これに加えて鳥たちの鳴き声なんかを重ねて聞いてしまったら、わたしは思わず元気になってしまう。

 

こんな時期は山に行かねば。盆も近いから、墓参りがてら実家周辺の自然を感じに行かねば。

時折植物がないとダメになってしまうわたしが、大都会から弘前へ戻ってきたのも、何だかんだ自明の理であろう。当然の帰結であろう。

34歳、女。自然多き弘前で暮らす。

日々の端々で緑に触れることが出来る今このときを、ただただ幸せに思う。