書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

インターネットが幼き日に教えてくれたこと、そして今。/ はてなインターネット文学賞によせて

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

はてなブログが「はてなインターネット文学賞」と題し、特別お題キャンペーンを行っていたのが発端で、ブログに「Web拍手」を設置してみた。

 

経緯をちょっとだけ説明する。

はてなインターネット文学賞に付随する企画に「はてなブロガーたちの選ぶ「インターネット文学」4選」というものがあった。

その4選の1つにもぐもぐさんのブログがあり、記事を楽しく拝見していたところ、ブログのサイドバーに懐かしの「Web拍手ボタン」を見つけたというわけ。

 

この記事のおかげで、わたしが昔読んだ大好きなエントリーに再会できた。

2014年のジャニーズカウントダウンコンサート、通称「カウコン」で何が起こったのかを詳らかにした記事が紹介されている。読み物としても一読の価値ありなので、ジャニーズファンでなくてもぜひ読んでいただきたい。

 

mogmog.hateblo.jp

 

閑話休題

いやぁ、懐かしいなぁWeb拍手。知ってますかWeb拍手

 

かつて個人HPが主流の頃に流行ったサービスで、今のTwitterで言う「マシュマロ」のようなものだ。Web拍手ボタンをぽちっと押すと、サイトの管理人へ応援の意味合いで、拍手が送れる。拍手数はカウントされており、さらにメッセージも添付できる。

「このサイト良かったですよ!」「貴方の作品は素晴らしかったです!」という熱い気持ちを届けたい。でも掲示板にお礼文を書くのは恐れ多い。そんなとき拍手なら、匿名かつ手軽に想いを届けられる。

気の利いた管理人さんは、拍手ボタン押下の返礼品として「お礼絵」や「お礼小説」を設置したりする。拍手ボタンは連投OK。押せば押すほどお礼絵の続きが見れたりするので、ついついボタンをポチポチしてしまうというわけ。

 

小学生の頃からPC、そしてインターネットと共に育ってきた身としては、自分のサイトにWeb拍手を設置する日がくるとは、何とも感慨深いものがある。

そう、わたしの子供時代はインターネット一色だったといっても過言ではない。

 

わたしの父はMacintosh好きで、新し物好きであった。そんな彼は、娘の遊び道具としてPCを貸し与えたのだ。

無垢なわたしも最初のうちはスヌーピーのゲームをにこにこ遊んでいたが、MacFan*1の付録のCD-ROMに入っていたゲームを皮切りに、より多くのゲームを遊びたいという欲が出始める。

Macfanはいうて大人向けの雑誌だ。付録のゲームもわずか。

物足りなさを覚えたわたしは、拙い手でインターネットを回遊し、Macで遊べ子供でも入手しやすいフリーゲームを文字通り連日漁ることとなる。

 

さらにその後、これまたMacintoshで遊んでいたぷよぷよ(無印)から、DiskStationという存在を知る。

DiskStationはぷよぷよの発売元、株式会社コンパイル*2が発行していた雑誌である。毎回付録としてCD-ROMがついており、この中には毎回6~8種類程の新作ゲームが入っていた。

このゲームが今思い返しても末恐ろしいクオリティで、ぷよぷよ好きでもそうでなくても長時間楽しめ、1冊1980円。*3いや本当に、時代を先取りしすぎていた。

この感動、ときめきをもっと味わいたい。そう思ったわたしは、またまたインターネットを回遊し、二次創作と出会ってしまう。今思えばこれがインターネット沼の始まりだった。

変化に乏しい環境の出身。さらに「趣味は友達と共有するもの」という意志が薄弱なわたしに、インターネットに広がる鮮烈で雑多な情報の渦は、非常に刺激的である。

 

昔と比べると、今は大層いい時代です。

昔はね…、インターネットが使い放題じゃなかったんだよ。定額制じゃなくて、使った分だけ料金がかかる従量制だったんだよ。

この広大な海を泳ぐとき、1分いくらで料金が加算されていくなんて、おこちゃまがわかるわけなかろう。わたしは当時、1か月10万円の電話料金を発生させ両親を驚愕させたことがある。嫌な事件だったね…。本当にすまないと思っている…。

 

インターネットは、わたしに情報享受の喜びと快楽を教えてくれた。

最初は二次創作の静画・小説から始まり、次代の主流が動画へ移った今ですら、受け手であり続けている。

少しだけインターネットとの付き合いが変わったことといえば、ブログをするようになったこと。つまり、送り手側に回る機会が増えたことだろう。

 

送り手側になるのは、小学生2年生の頃以来である。

小学2年のとある日、フィクションの長文小説を家族のHP*4だかに載せたのだ。自分としては内容に自信があったのだが、通りすがりの見知らぬ誰かから「意味不明、文章になってない」的な感想が届き、小学2年の幻想は打ち砕かれる。ぱりん。しかも落ち込んでいるところに父親が「ボロクソに言われたのか」と、ニヤニヤからかってきたので、「もう小説なんて絶対ネットにのせない」と心に固く誓ったのである。

 

まぁ、小学生の頃の誓いを引きずっていられる程、自分も若くないというか。年を重ねすぎている。それに、受け手で居続けるのが難しくなってもきた。

理由は情報供給過多であるからだ。

 

インターネットは以前に比べてはるかに巨大になった。かつて見ていた静画・小説は読書と同様、自身の中で想像を膨らませる余地があるが、動画はもう1つの現実と変わりがない。SNSも発達し、1日のわずかな隙間にすら、次から次へと最新の情報供給が行われる。

発信者も増えたし、繋がりも増えた。否が応でも比較対象が増えるというのは、何らかの競争の意をはらんでいるように思える。

 

単なる受け手であり続けることは、膨大な情報の渦の中心に身をさらしているのと同義だ。強靭な精神と肉体とがなければ、あっという間に傷ついてしまう。

しかしインターネットとの縁を完全に断ち切ることは難しい*5ので、発信側になることに決めた。

発信側は責任を伴うが、自由だ。意志を伝えられる。自分はこうだ、こんなことを考えているんだ、と明け透けもなく表現することができる。

ブログを書くことで、1つの個である時間を確保することは、インターネットとのよい付き合い方なのではないかと今は思っている。

 

 

冗長かつ長くなった。

色々あったけど、こうして付き合いは続いているのだから、インターネットはよい。

用法容量を正しく守って、そして自分に合った使い方を発見しながら、楽しくこの大海を回遊してほしいと強く思う。

*1:Macintoshの専門誌。後藤ユタカさんの「電脳(ハイパー)奥様」という漫画も連載されていた。読むの好きだったな

*2:倒産してしまったが、わたしに計り知れない影響を及ぼした会社だ。大好き

*3:時期によってはもっと安いときもある

*4:個人のHPを持つことが流行り始めた時代だ。懐かしのHPビルダーで、父親の手を借りて作成したのだ。家に蕗が生えていたからという理由で、HPタイトルは「蕗の下で」みたいな渋いタイトルだったはず。

*5:いや、不可能である