書きたい分だけ書くブログ

小市民たけなみが冗長な戯言(たわごと)を書くブログ。

日記ブログを読む機会が増えたので、みんなブログを書こう

ブログを始めてから、日記ブログを読む機会が増えた。

「ゲームの攻略」とか「お店の詳細」など特定の情報を得るためではなく、そのブロガーさんの文章が読みたい、生活が知りたい、何を思っているか知りたいと思うようになったのが理由の1つだ。

 

わたしは喋るのが苦手だ。喋るのが苦手なんだから、もちろん会話も不得手だ。

言葉のキャッチボールをするスピード感に追いついていけない。誰かが投げてくれたボールを受け止めることまでは出来るが、熟考し、会話を膨らませる一言を投げ返すまで、時間がかかりすぎてしまう。

会話の内容に焦点を当てすぎるから、対面している相手の観察もできない。

今この人、どう思ってこの言葉を発しているんだろ。前と会ったときとの差異は何だろう。今調子がいいのだろうか、悪いのだろうか。言葉以外の部分、表面化されない部分に気付けたらいいなと思うんだが、会話の最中にそこまでの芸当はできない。難しい。

 

一方文章は、相手の言葉を自分のペースで知ることができて、考えを咀嚼する時間がもてるのがいい。

生活の端々で湧き出る思いや、毎日のニュースへの意見。一緒にゲームを遊んだ感想とか、執筆者の物事の考え方や視点を伺えるのが楽しい。不特定多数の全国アンケートより、声は小さいかもしれないが「その人」が抱える思いのほうが現実味がある。個が生きてるんだなぁと感じる。

 

 

日記形式のブログなんてつまらないと昔は思っていた。

たぶん若い頃は今以上に自信がなく、他人にそこまで興味がもてなかったんだろう。自分さえ楽しければよくて、刺激的で、一時の快楽が得れるような情報ばかり見ていた。文章の中ですら、他者と比較されればされる程、自分がみじめで、何も成し遂げていない人間のように思えて、辛かったように思う。

そんな承認欲求も年を重ねるごとに落ち着いてきて、ブログで己を表現できる余裕も出てきた。人の文章も落ち着いて読めるようになってきた。(こんな文章書けるのか、すげえな、羨ましいなとは思うときも多々あるけれど)

 

当たり前の日常を、どのように解釈して過ごしているかは一人ひとり違う。

もうコロナのワクチン接種して、特別なことと捉えず淡々と過ごしているんだなとか。

めちゃくちゃ興味があるわけではないんだろうけど、謎に植物に造詣があるんだなとか。

特定の物事になると力が入っちゃう性質で、逆境を力に変えれるエネルギーがある方なんだなとか。

顔が見えなくとも、文章からその人の輪郭や内面、光や影を感じ取れるのが愛おしいと思う。

 

だからもっと、みんなにブログ書いてほしい。

書いたらわたしに教えてくれ。読みにいくから。読んだよのいいね、押しに行くから。

わたしみたいに喋るのは苦手だけど、文章なら饒舌になるって人、きっとたくさんいると思うんだよね。

全部を全部、読みにいけないかもしれないけど、きっと自分を救ってくれることがあると思うから。みんなブログ書こ。

 

余談になるが、ブログと別に面白いなと感じているのが、Amazonの欲しい物リストだ。

 

敬愛しているブロガーさんがリストを公開していたのでいそいそと閲覧。登録されている商品は、生活必需品が中心になっていた。

「わざわざ買わないけど、プレゼントされたら嬉しいもの」とか

「めっちゃ欲しいけど、高価なもの」なんかを登録するもんだと思っていたけど、いくつあってもまぁ困らないよね的な商品をリスト化するのか、と感心。

 

人生においてその人が何を嗜好し、必需品と捉えているかがリストから伺え、思わず延々と見てしまった。

楽しそうだから、自分もリストを作りブログに設置しようかと思ったが、いやいかんぞと。クレクレ君になってはならぬ。ある程度ブログの記事数を重ねられたら、そうだね、100記事達成したら設置してみよう。

 

そんな妙な目標をたてておいて、今日のブログを終える。みんなは変な目標たてずに、ブログも欲しい物リストも、どんどん公開するといいよ。