書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

何者にもならないかもしれない9月だけど、それがなんだというのだ

9月になった。9月!

7月から8月にかけての、コンクリートすら融解するのではという盆地特有の暑さも過ぎ去り、風が冷たさを帯びてくる季節だ。

新緑も若々しく鮮烈な色合いから、やや渋みを増し大人びた顔になり始めた。今年は自然散策に全く行っていないのに、その微妙な変化に気付けるのは、ひとえに町中に緑が多い弘前市のおかげだろう。

 

 

やっと9月が来たぞ!という感覚はない。

コロナ禍を言い訳にするようだが、今年は例年に比べ、やけに時が経つのが早い気がする。特に、1〜6月は光陰矢の如しだ。

どうしてだろう。この時期は何をしてたっけ?と思い日記を見返してみる。しかし本文に目を走らせても、過ぎ去る早さの理由はわからない。日記には1日1日がわりと詳細に書かれているし、好不調はあるものの、毎日それなりに楽しそうに過ごしているのだ。

まあ、過去に謎を投げかけるのはやめにしよう。考えれば考える程、疑問が脳で循環して、余計に訳が分からなくなってくる。目の前にあるのは、ただ「今」だけだ。

 

そういえば、8月後半からスマホ断食を始めた。おかげで、ちょっとだけ「今」を意識する力が強くなった気がする。

スマホ断食を促進するため何を使うかというと、スマホ断食促進アプリを使うのだ。「スマホを使わないとスマホ断ちができない」というのはパラドックスが生じるが、とにかく生活リズムが整っていい感じだ。

使っているのは「Forest」というアプリ。植物がテーマというのも気に入っている。別記事でもう少し詳しく紹介したいので、ここでは多くは語らない。「今」を意識する力をちょっと上げたいよって人は、アプリに頼るのもいいんじゃないかな。合う人には合うと思う。わたしみたいに。

 

 

ブログを始めて3ヶ月たっても、ちょいちょいブログについて悶々と考える。

あのときはこうブログに書いたのに、その通りに出来てないなとか。以前書いた内容を読み返すと、別人が書いた文章に思えるなとか

「何らかの決意を固めたら、その決意は確固たるものとして持ち続けていたい」というか。いや「持ち続けなければならない」に近いかもしれない。そんな思い込みが、ある。

それなのに現実のわたしはかなりの気分屋で、その時感じたことが全てだったりする。理想と現実が剥離してしまっている。だから時たま苦しくなるのだな。

まあしかし、今こうして文字にしたことで剥離事実が明白になった。喜ばしい。これから先はまた少し生きるのが楽になるかもしれない。

 

 

9月のテーマ。になるかはわからないし、気分屋なので今日明日ですっかり記憶の彼方へ消えてしまうかもしれないが。30代という輝かしい人生の最中、掲げておきたいことについて。

「自分は何者にもならぬかもしれない」という事実を早く受け入れたいと思う。

 

大好きなブロガーの方が書いた記事を、今でも何度も読み返すのだが、その中から引用する。

 

あなたのブログはだれにも届かないかもしれない。あなたのブログは一切の収益をあげないかもしれない。あなたのブログは誰も笑わせもしなければ、悲しませも、怒らせもしないかもしれない。それがなんだというのだ。今、おれの横で三羽目の孔雀が死んだ。

ひょっとしたら、おれはあなたのブログに共感し、あなたの言葉に涙するかもしれない。そんなことがあるかもしれない。ないかもしれない。そんなことはどうでもいい。ただ、あなたのブログ人生がよいものでありますように。はてなブログが百年続きますように。

 

blog.hatenablog.com

 

名文だ。

名文がゆえに、心を刺す。

 

自分には「何者かにならねばならない」という思いが幼少期からあった。理由はわからない。

厚顔無恥だな、という思い出が中学時代にある。下校途中、わたしは友に「自分はお札に顔がのりたいんだよね」と言ったのだ。確かに言った。

何でだよ。と今ならツッコめるが、たぶん当時は本気だったんだろうなぁ。何故お札の顔になりたいと思うのか、心の内を、その深層を探ることなく、言葉にしたのだろう。

その話を「そうなんだ」と淡々と受け止めてくれた友には、今でも感謝している。

 

承認欲求に飢えていたのかわからぬが、

「今の自分より、もっとよい自分にならねばならない」

「人生は、そして人間は、階段を上がっていくように、レベルアップしていくものだ」

と考えていたに違いない。

思春期の強烈な欲求の余波は、30代でも尾を引いているのだ。

ブログの中でさえ、わたしは「自分ではない何者か」になりたがっている。

 

あなたのブログはだれにも届かないかもしれない。あなたのブログは一切の収益をあげないかもしれない。あなたのブログは誰も笑わせもしなければ、悲しませも、怒らせもしないかもしれない。それがなんだというのだ。

 

それがなんだというのだ。なんだというのだ…。

「それがなんだというのだ」、この言葉を文章に出来る、その逞しさが、今1番欲しい。欲しい者リストに載せたい。いや、他人からもらってもどうしようもないけど。

 

何者にもならなくても、己自身が、己の人生が尊ければよい。

書くことが、人生の最良であるなら、書けばよい。

9月はその事実を頭にめり込ませ、浸透させる勢いで過ごしていきたい。

 

うん。みんな、9月も自分を大事にしようね。