ソード・ワールド2.5「冒険の国グランゼール」を遊び、TRPGが楽しい理由について考えてみたりす
GMするにあたり使用した本は、
「ソード・ワールド2.5スタードガイド 冒険の国グランゼール」
こちらにはシナリオが2つ付属しており、そのうちの1つ、
「魔剣の迷宮〈欠片喰らい〉の冒険」を遊んでもらった。
ソード・ワールド2.5 スタートガイド 冒険の国グランゼール [ グループSNE ]
内容は迷宮探索シナリオ。
冒険者たちは「欠片喰らい」と命名された迷宮に潜り、5つの依頼の達成を目指す。
「迷宮」で「依頼達成」というと、よくあるRPGの世界観そのものだが、わたしが「ソード・ワールドってこんなに面白かったのか!!」と悟るきっかけになった物語だ。
初心者向け導入シナリオが、ルール説明含めて約3時間だったのに対し、今回の冒険の所要時間は約6時間。
世界観の描写も多く、NPCも登場する。他にも多種多様な仕掛けでプレイヤーを楽しませてくれる。だから自分がこのシナリオのGMをすると決まったとき、少し尻ごみした。
前編・後編に分けるとはいえ、こんな複雑な内容、口下手なわたしに務まるんかいな。
結果、割と務まった。
グループSNEさんのシナリオは非常に丁寧に作られている。GM見習いのわたしでもマスタリングできるのは自明の理であった。落ち着いて楽しくGMできるよう、事前準備さえ怠らなければよい。
ソード・ワールド2.5のルールブックを買ったばかりの方にこそ、ぜひ遊んでもらいたい1作。
全国のGMさん。冒険の国グランゼールへ、新人冒険者をいざないませんか??いざないましょう。プレイヤー側もGM側もどっちも楽しいよ。
しかしソード・ワールドというTRPGは、何故こんなに楽しいのだろうか。また遊びたいな、GMをしたいなと感じる魅力はどこにあるのだろう。
元々自身がぷよぷよや魔導物語のファンで、ファンタジー世界に憧れを抱いているという前提は確かに大きい。しかしそれ以外の理由を考えてみると、大きな特徴が2つあるように思う。
「ダイス運がある」点と、「共に冒険に出る仲間がいる」点だ。
「ダイス運がある」について。
ソード・ワールドに限らないが、TRPGには行為判定というものが存在し、
「キャラクターが試みた行為が成功したか、失敗したかはダイス目で決める」のだ。
厳密に言うと、キャラクターには能力値や特殊能力などがあったりして、単純なダイス目では決まらないこともある。能力値が低すぎたら、そもそも成功するのは難しいとか。
しかし「6のゾロ目を出したら、絶対成功するよ!」みたいな決まりがあったりするので、結果はまさにシュレディンガーの猫。ダイスを振ってみないと分からないのだ。
GMが「あなたに向かって鋭い矢が飛んできました。ダイスを2つ振って、11以上なら避けます。10以下なら当たります」
11か12を出さないと矢が当たる。盾もなく丸腰。絶望的状況。
「くぅ〜〜〜〜」と苦しみを噛み締めつつ、しかし一縷の望みにかけて、ダイスを、振る。この過程が楽しい。
結果矢が当たったりもするだろう。しかしときには6ゾロを出し、超高速の矢を片手で鷲掴みできるかもしれない。
あと現実世界では、ダイスの神に祈る猶予なんかない。
矢が飛んできたら、超高速で回避しないと普通に当たる。「6ゾロ出るかな〜〜?」なんて悠長に構えていたら死あるのみ。
しかしTRPGではそれが出来る。生死の境目でも、その生を噛みしめ、堪能することができる。何と贅沢なことだろうと思う。
「共に冒険に出る仲間がいる」について。
単純な話だが、共に冒険する仲間とあーだこーだ言いながら、未知の世界を旅するのは楽しい。
ときにシナリオの規定路線を逸脱するときもある。新たな発想、面白いアイデアで、GMが納得し合意が取れれば、シナリオに記載がないことでも採用される。ここに集ったメンバーでしか作り上げることの出来ない、唯一無二、一期一会の物語を生み出せたとき、感動はひとしおだ。
GMの存在もよい。TRPGは説明も描写も、基本GM、つまり人間が行う。デジタルに比べたらもちろんその処理速度は遅い。しかし、GMの紡ぐ言葉を通じて、物語を深く味わう余裕が生まれてくるのだと思う。
あげた2つの理由はソード・ワールドに限らず、TRPG全般に通じるものだ。
つまり、TRPGは楽しい。乱暴だけどこのようにしめくくっておく。