1人で体を休めるのが苦手だという気づき
2回目のワクチン接種を行ってきた。
眠気と軽いダルさがあり、大事をとって今日・明日は仕事を休ませてもらった。
というわけで、今は1人の時間を過ごしている。
手持無沙汰なので、ダラダラと思ったことを綴ろうと思う。
突然だが、わたしは「1人で体を休める」というのが苦手だ。
何かしら行動していないと落ち着かない。将来のために、生産性のある活動をしないと自分がダメになっていくような恐怖がある。これは前に書いたブログ記事にある、刷り込みが原因だろう。
自分はどうも、やること全てを「お金を稼ぐ行為」に繋げなければと思う節がある。父がかつて「何かをやるならプロになれ」と事あるごとに言っていたからだろう。
自信のなさと「プロになれ」の言葉が魔合体して、
「わたしという人間を認めてもらうには、プロとしてお金を稼がないといけない」
という考えが刻み込まれた。
誰かと一緒にいる時間は、「目の前の人間にエネルギーを注ぐのだから、行動できなくても仕方ない。OK、OK」と免罪符が発行される。
1人きりになって、自由にしていいよと言われると途端に不安になる。自由時間をどう活用すればよいのだろう。あぁ、自分が楽しいと思える行為をすればいいのか。いやしかしわたしが思う楽しいことって何だっけ。そもそも楽しいことをしていいのか、今の時間を有効活用しなくて将来後悔しないか。と悶々としてしまう。
今は自己肯定感を上げる活動のため、1週間のうちに達成したい目標を決めている。
目標は行動の指針になる。悶々としたらとりあえず指針を思い出し、目標を片付けるようにしている。正直、助かっている。
別に1人で過ごすのが嫌いな訳ではない。むしろ1人の時間を意識的に取らないと、息切れしてくるタイプだ。誰も話しかけてくれるなと、エネルギー充電タイムに突入することもままある。
ただ基本的に、人と共同作業するのが好きなんだと思う。誰かと何かを作る作業が心底嫌なら、6年間も劇団にはいれなかったろう。バイトで選ぶ職種も接客業ばかりだ。食べるのが好きなので、まかない狙いで基本飲食の接客業ばかりやっている。
誰かと行く旅行も好きだし、会食も楽しい。趣味であるボードゲームとTRPGも相手がいないと成り立たない。相手が必要な趣味ばかり好きになっている。
1人でかつ元気なら誰かと会話したり、予定をねじ込んだりするだろう。
が、突然天から降って来た休みや、休息のためのお休みタイムは、扱いが難しい。今日のように体調がイマイチだと精神的にもダウンする。
そうか。また書いていて自己完結してしまった。
「1人で」「調子が悪い」ときは、悶々と不安になってしまうのだなと理解。
元気なときは行動できるんだもん。精神的にまいっているときは、体が疲れているとも聞く。しっかり体を休めて、元気を取り戻さねばなるまい。
年を重ねて、本当に1人になってしまったとき、どうなってしまうのかなとも思ったりする。わたしには今のところ子どもがいないし、旦那は年上だし、オカメインコも寿命は20年くらいだから、もしこのままなら、うちの家族で残るのはわたし1人だ。
…考えてもしょうがないことを考えるのは、今は辞めておこう。それより、不安に思うなら不安を解消できるように行動しよう。
何かを変えれるのは時間と行動だけだ。
こんなポジティブな発想が出るくらいには、少し元気になってきた。今日もブログよありがとう。