生物学的に自分を愛せるようになってきた【自己肯定感を上げる活動で変わったこと4点】
年の瀬が訪れている。
弘前はクリスマス前後から大雪が降り始め、1日に2回は雪かきをしないといけなくなった。ラジオを聴きながら黙々と雪をかく作業は意外に楽しいが、時間に追われることが増えた。冬休みを迎えた学生さんや、仕事納めを間近に控えた社会人の方が店舗を訪れてくれる。クリスマスや年末年始に向け、商品を購入してくださる方も多い。ありがたいことにイベントにもお声がけいただけるし、もちろんプライベートでも年末らしい予定が入っているしで、何だかんだ忙しくしている。
そんな中、久しぶりに1人きりの時間ができたのでこのブログを書いている。
ここ最近、自分が変化してきたと感じるので、振り返っていきたい。
基本的にわたしは怠惰でポンコツだ。指示待ち人間だと言ってもいい。明確な目標を設定しないと動けないし、動かない。そんな自分が嫌になって、自己肯定感を上げる活動を続けてきた。
活動記録をまとめた日記をチェックしたら、どうやら次の週で活動を始めて3か月になるらしい。
このメソッドを教えてくれた心理セラピストの杉田さんは「活動を3か月続けてみてください」と話していた。続けた結果どんな変化が起こるのかは、まさに己のみぞ知る。期待はしない、ただ小さくともさざ波を起こすことが大事、と念じて続けてきたが、確かに己の内側がやや変わった気がする。まとめてみる。
↓↓↓ 心理セラピスト杉田隆史さんのブログ。何となく生きづらい人に寄り添ってくれる。
①落ち込むことがあっても、悩む時間が減った
②どんな自分でも応援できるようになってきた
③周囲の反応から身を守るようになった
④隙間時間に、やると決めたことをやるようになった
まず、「①落ち込むことがあっても、悩む時間が減った」について。
これは本当に、ぐだぐだ落ち込んでいてもしょうがないと思うようになった。ショックはもちろんある。ただその中でも、今の自分がすべきことがあって、そこに力を注がないといけんのだと感じるようになった。
どうしようもなく悩んだときは、「これは!!話を!!聞いてもらわないと!!いけない!!!」と、旦那や友人に話を聞いてもらったりした。
「一人でうじうじする時間が必要だ」と感じたら、ストーブの前で膝をかかえスマホをいじったりした。そんな無為な時間を過ごすと、不思議とすぐに気力が回復して行動できるようになったりする。
ダメなときは、自分に優しくしなければならないと理解できたのかもしれない。
「②どんな自分でも応援できるようになってきた」について。
「歌ってみた」の動画を作ろうとして、世界の広さを知り、己の矮小さに絶望し、そして開き直った経緯は以前の記事で語った。
所詮わたしなんてちっぽけな人間なんだ!!と認めたら、そんな自分があくせく頑張っているのが逆に愛らしくなってきた。
ある夜。冬用のもふもふパジャマを着て、旦那の前でいつも通り踊っていたら、自分って案外可愛いなぁと感じた。見た目じゃなく、生物学的に。
よく動いているな、何だか楽しそうだな、うんうん、よしよし。
生物学的に存在を許容できるようになったのは、非常に嬉しい。
↓↓↓凡人が凡人を認識したときのブログはこちら
「③周囲の反応から身を守るようになった」について。これはSNSで情報遮断をするようになったという話だ。
心がしんどいときはSNSやYouTubeに逃避して、流れ出づる情報を食べるのが癖になっていた。が、過度な情報は己のモチベーションを下げると気づいた。
ある方がTwitterでハッとする内容を呟いていた。意訳すると、
「Twitterで自分が共感できる感想を呟いている人を見て、自分も感想を言った気になる、考えた気になる。それってあんまりよくないよね」
まさにわたしのことだ。自分の主義・思考を認めてほしくて、まるで答え合わせをするようにTwitterのトレンドを漁っていたのだから。自信がないから、SNSで誰かの共感を欲していた。
答え合わせなんかするな、自分が感じた内容に自信を持て。自分が考えろ。我が我を表現せずして如何とする。世の真理に突き動かされたのか知らんが、気づいたらTwitterで別アカウントを作っていた。
この人は立場的にフォローしなきゃいけないんじゃないかとか、清濁併せ吞まねばならないのでないかみたいな考えは、表現用アカウントに関しては捨てた。恥をさらして生きていきます。
「④隙間時間に、やると決めたことをやるようになった」について。
単に「大人になったら、自分のための時間がなくなる」事実に直面したためだ。自己肯定感を高める活動は、目標設定をする。設定したらとりあえずクリアしなければならぬ。でなければ、また1週目から再スタート。積み重ねた時間がパー。嫌すぎる。
まだダラダラしたい気持ちを蹴飛ばして「よっこらしょ!!!!」と腰を上げる癖が、少しずつついてきた。そうじゃないといけない。
始めないとやる気スイッチは入らないのだから。
とこうして書いてくると利点ばかりに見えるが、逆に自分の弱点も見えてきた。
「やると決めたことしかやらない」とか。
「自分のことばっかり考えてる」とか。
目標以外のことには目もくれないのはどうかと思う。本なんてそれこそ読まなくなった。年末の疲れなのか、体の衰えなのか、季節的な低気圧のせいかはわからないが、最近頭がぼーっとして、思考に靄がかかっているような感覚が続いている。そこを理由に、深く思考するのを放棄し始めている気もする。
自分の目標だけでなく、もっと他人のことも考えたい。でも漠然と「考えたい」なんて、何の役にも立たない。他人を思いやるって何なんだろう。こんな状態の人間が、子供が欲しいとか言っているのだ。狂気の沙汰ではないか。
そう、自分が少しずつ好きになってきたと同時に、ようやく子供が欲しいと思えるようになった。ここも小さいけど、大きな変化だ。
そんなわけで長々と書いてきたけれど、変化は起きたがまだまだ自分は至らない、小さな人間なのだ。そんな自分を撫でまわして、生物学的に愛しつつ、しぶとく足掻いて生きていきたい。
みんな、生きていこうね。そんな年の瀬。