書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

【ブログ2年目突入】文章は単なる救いでしかない

2021年6月23日に、はてなブログを開設してから1年が経った。

 

clton.hatenablog.jp

 

1年目の投稿は118記事

前半戦はハイスピードで投稿していたが、後半戦はスロー。100記事達成したが、自分が書ける内容をつらつらと書いてきただけで、自分の内外共に大きな変化はない。文中では少しだけ饒舌になったかもしれない。今のところブログ閉鎖は考えていないので、200記事に向けて、2年目もぼちぼち頑張りたいと思う。

 

ブログとは難儀なものだ。心の拠り所と化している日記とは違い、距離感がまだわからない。

わたしの表現を、どこかの誰かが見てくれている。第三者の目があるからこそ、読みやすい文にしたい。そう思って書いた文ほど違和感がひどくなる。

たとえば自分が何かを紹介したり、感想をまとめた記事。もちろん嘘は書いていないが、掘り下げが足りないのか、言葉の選び方がよくないのか、自分の本当の言葉じゃない気がして羞恥を感じる。心境を吐露した記事は、そういった違和感がない。だからたまに読み返したりできる。

 

誰かに必要とされる文と、自分が好きな文は異なるのだから、もっと他者の為にブログを書くべきなのでは。とこの1年間で何百回と思ってきたのだが、結局今のわたしにとって、文章はたぶん、単なる救いでしかない。だから結局自分のためにしかブログを書けないのが、わたしの弱点だ。

 

個人日記を3年ほど続けているが、内容物は感情の吹き溜まりだ。心のバランスを整え、次の一歩を踏み出すための命綱、と言えば聞こえはいいが、要するに混沌、自己満足の塊。しかしその充足感たるや、計り知れない。

書くことに救いを得なければ、誰が3年で1500も日記やメモをつけるものか。

書けば書くほど、自分はわりと文章が好きなのだなと思い至り、ブログを始めた。生まれてこの方主張が苦手な人間が、発信する機会を得た瞬間だ。

 

発信と感情の結露は異なる。

三者の目を意識すると、「読みやすくて」「発想力を褒めてもらえるような」文章が書きたいという欲望が頭をもたげる。せっかく産声を上げたのだから、褒めてもらいたいと内なる幼児が喚く。

全く不器用さんである。適当に喋り散らして評価されるなら誰も苦労しない。

 

救いを救いのまま庭で大切に水をやるか、花として商品にするか。欲しているのは前者でしかない。

誰に阿る必要のない、しかし外界に接した広い空間で、もっと自由に飛び回りたいと思う。もっと自分が書く文章を気に入りたい。あわよくば、1人にでも意図が伝わるように書きたいと思う。

 

 

2年目、これからについて。

さらに気合を入れるぞ!という気概はない。結局今まで通りコツコツと、気が向いたときにブログを書いていく。

ただもう少しだけ、自分が読み返せる記事を増やしたいと思う。方法は言語化できないが、たぶん試行錯誤するうち、気に入ったスタイルが見えてくるだろう。期待。

 

結局わたしは普段口下手な分、ブログを通じて自分語りがしたいだけなんだろう。お山の大将でいたいんだろう。そんな稚拙でちっぽけな人間を、よかったら2年目もお見守りください。よろしくお願いします。