書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

ちょっぴり自信が持てた誕生日の夜

誕生日を迎えた。その記念すべき日にブログを書こうと思ったのだが、特筆して書くべきことが思い浮かばない。ので、だらだらと自分語りをする。

 

 

わたしは成長報告が好きだ。以前と比べてこんなに進歩した、次からはこんな風に頑張りたい、とブログでは記してきた気がするし、これからもイキイキと報告できる人生でありたいと思っていた。しかし今の自分はイキイキとは無縁の状態だ。停滞している気すらする。

 

たぶん欠点が目につくようになったからだろう。たとえば人に注目されるのが苦手だとか、会話するのが苦手だとかが可視化してきた。1対1で話しているとまだマシなのだが、3人以上いる状態で会話の主導権が手渡されると、途端に焦ってしまう。発言如何で相手に誤解されたくない、意図を完璧に伝えたい、だから考えがまとまってから喋りたいが、パス回しの速度は落としたくない。結局焦っていらんことを喋って、内心一人落ち込んだり。

完璧なんて目指すもんじゃないし、周囲もわたしが思う程わたしに注目してやしない。頭ではわかっているのだが。この齢にして、まだ欠点を完全に受け入れるには至らず、あがいている状態だ。苦手意識が強すぎて、喋りが上手くなるよう特訓しよう!という気持ちにもなかなかなれずにいる。

 

欠点にかまけて努力しないのは甘えだと思う。故に自分がどうしようもなく矮小に見える。ダメだダメだ、こんな自分消えて無くしたい、としくしく泣く夜も増えてきて、内心うんざりである。

とはいえ、チャレンジしている事柄もあるじゃないか、とここから少しだけ自分を鼓舞しておこう。

 

 

まずこの先1年間、英語学習とブログ記事執筆は、休まず行うと決めた。

英語学習は最悪1日1分でもよいとする。リスニング学習であったり、学習アプリ、単語本や文法本の読書でも可。とにかく英語に触れる癖をつけたい。

ブログ記事執筆は、少なくとも記事編集画面を開き、1文字でも入力することを最低ハードルにする。何はともあれ文字をタイプすれば、惰性で文章は書けるものだ。その積み重ねで投稿ができるはず。

 

英語を何故やりたいかといえば、目的は今いち微妙だ。目的はあったほうが良いに決まってるが、現時点で曖昧なのだからしょうがない。海外旅行もなかなか行けないし、英語を日常的に使う環境もない。

ただ強いて言うなら、ニュース記事や海外サイトを素読みできるようになりたい。あとYouTubeやアプリの広告でサラッと入ってくる英語を理解できれば、多くの情報にアクセスできる。海外で超人気のTRPG・D&Dを遊んでいるが、原文に直接触れれたら楽しいだろうな。

あと翻訳の仕事は在宅でもできるし、文字に触れる職業だし素敵だなと思う。実際に働く想像はつかないし、そもそも恐れ多いけど、モチベーションアップのためにもこうして発信しておこうと思う。

 

ブログ記事執筆を目標に掲げたのは、単に文章を書くのが好きだからだ。これほど心が穏やかになる趣味はない。

誰かのために文章が書けたら素敵だ。今は己の愉悦のみで書いているが、ブログで誰かが共感していただけるなら、これほど嬉しいことはない。現時点ではその方法論は微塵もわからないので、これこそ考えても詮無いことだが。

モチベーションや好意は繊細だ。執筆行為を嫌いにならぬよう、特に負荷をかけないようにしていきたい。

 

 

ここからは余談だが、誕生日に旦那におねだりして、苔ルーペをプレゼントしてもらった。予想以上にワクワクする。

 

苔ルーペはその名の通り苔観察におすすめなルーペ。わたしのものは10倍の大きさで観察できる。苔はもちろんのこと、人間の肌や布や紙、植物から素材まで、何でもかんでも覗き見可能。しかもルーペごしにスマホをかざすと、ミクロの世界を写真に収められる。

異様にテンションが上がるので、事あるごとに色んなものをルーペで観察していきたい。飽き性のわたしが飽きずに続けられるなら、そのうち何らかの目標もできるだろう。楽しみだ。

 

 

だらだらと自分語りをしてきたが、とりあえずこの先1年間、自分が立てた目標に沿って、できることを少しずつ取り組んでいきたい。

小さくとも確かな目標が立てれるだけで、以前とは違うわたしじゃないか。このブログを書きながらちょっぴり自信が持てた、誕生日の夜。

 

これから1年、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

去年の誕生日記事。

テンションが違いすぎて時の流れを感じる。ふふふ。見比べると楽しい。

clton.hatenablog.jp