書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

35歳、髪を切った

ようやく髪を切った。

自分で切ったのではないのだから、正確に言うと「切ってもらった」。悪い運ごと落ちた気がした。モサモサと生え散らかした髪は、ストレス源となっていた。

女性が気持ちを切り替えるには髪を切るといい。それは本当だ。気分転換になるし、わたしの場合はショートカットだから、外を散歩するたび首元を風が通り抜けるのは気分がいい。髪のせいにしたくなるほど、最近は憂鬱なことが続いていたから、頭が軽くなるだけで心も軽くなる気がした。

 

 

なにで鬱々としていたんだろう。ブログに書けない出来事が多すぎたのかもしれない。日記は感情にまかせた文字を羅列できるが、ブログはささやかながら人の目を意識している。感情を希釈し、第三者が「飲める」程度に己を客観視して書きたいと感じるようになった。見ず知らずの誰か(あるいはわたしの顔となりを知る誰か)のグラスに原液を注ぎたくはない。

だから今こうしてパソコンに向かっているわたしは、かなり落ち着いている。最近何があったか振り返っていく。

 

 

まず手始めに大雨があった。

8月。3年ぶりに青森各地では夏祭りが開催された。青森ねぶた祭り、八戸三社大祭五所川原立佞武多、そして地元弘前弘前ねぷた。見上げるほどの山車、太鼓にお囃子の音色。青森に夏が帰ってきた気がした。

初日から天気は怪しかった。何とか運行はできたものの雨がぱらつき、観客側はひやひやした。何とか全日程運行を終えたと思ったら、青森を狙い撃ちしたかのような大雨続き。自身に影響は少なかったものの、友人たちに避難指示が出され、楽しい夏休みシーズンだというのに落ち着かない日々が続いた。

 

 

次にコミュニケーションの下手さを痛感する出来事が続いた。

わたしは大人数の中で話すのが苦手だ。2人なら、キャッチボールをする相手が互いしかいないので必死にやりとりするが、3人以上となると困ってしまう。相手の反応が気になりすぎて、喋りたいことを喋り続けることが出来ない。上手く喋らなきゃ、取り繕わなきゃと思いすぎた影響か、見知った相手に失言する機会が増えた。

『言葉は、言霊だ。ポジティブな言葉を選ばなければならない。口から出た言葉は返ってこない』

体に染みついた考えが、呪いのように覆いかぶさってくる。過去を変えることは出来ないなら、行動を顧み変えていくしかできないのに。どうしようもなく落ち込んでしまう。

会話が「好きじゃない」と振り切れれば楽なのに。こちらに主導権さえこなければ、話を聞くのは楽しい。ラジオを聴く機会も増えた。しかし現代はコミュ力が問われる。コミュ力こそ令和の刃。コミュ力の低さに枕を濡らす夜があるのも致し方なかろう。

 

 

極めつけは子宮だ。

 

昨年。齢34を過ぎて「子供を持ってもいい」と考えるようになり、妊活を始めた。周りに経緯を話すと「早めに産婦人科で診てもらうといいよ」と言われ、重い腰をようやくあげ、今年5月に産婦人科にかかった。

1~2週間おきに診察が続き、計7回ほど行ったところで子宮年齢が閉経間近だと告げられた。念のため紹介状を書いてもらい大学病院を受診。診察結果は同様。もし子供を希望するなら、自然受精・人工授精の段階を飛ばし、体外受精でないと難しいらしい。

今年から不妊治療に保険が効くようになった。その影響で治療希望者が増え、もし体外受精を行うなら年末頃からの開始になる。先生はとにかく真摯に話をしてくださった。心配していた医療費に関しては高額医療費制度がある、そして我が弘前市不妊治療に補助金が出るという新事実も教えてくれた。

妊活の懸念点が1つ解消された。とても嬉しかった。

しかし結局、わたしは体外受精をしないと決めた。

 

大きな要因は「自分の子供が欲しい」と思ったことがないと気づいたからだ。妊活を始めてからのわたしは「旦那に子供を持たせてあげたい」「寂しい老後にしたくない」と考えていた。まだ見ぬ子供に、わたしのエゴを押し付けているだけだと気づいた。

病院で受けた卵管通水検査が、めちゃくちゃ痛かったのもある。出産はこの10倍痛いよと言われると、正直怖かった。

体外受精もスケジュールを細かく立て、色々な段階を経なれければならない。心身ともにようやく整ってきた生活が、「妊娠」中心に様変わりする。ストレスにめっぽう弱い自分がメンタルを崩すのは容易に想像できた。

 

子宮年齢が閉経間近だと教えてくれた先生は、わたしが理由を尋ねると「特にない」と話してくれた。白血病や癌など大きな病気も原因の1つだが、そうでなければ人の体によりけりだと。だから気にすることはない、あなたのせいじゃない、と告げてくれた。その言葉をかけてくれ、的確に診察をしてくださった。お世話になった先生は皆いい方ばかりだった。感謝している。

でもわたしは思う。やっぱりわたしのせいだなと。子宮年齢には多かれ少なかれストレスが影響するらしい。若き頃よりストレス耐性のなかった自分は、周りに恵まれていたにも関わらず、自己肯定感の低さから無駄に体に負荷をかけていたと思う。本当のところは誰もわからないけど。

 

体外受精をしないと、旦那と話し合い2人で決めた。私の体を第一に考えてくれた旦那、報告の際に我々の考えを尊重してくれた両親には感謝している。

2人(とオカメインコ)だけで生きていく未来を考え始めたのは、ごく最近だ。まだ不安は多い。

 

 

そんな不安を吸い、モサモサと大きく成長した髪の毛を、わたしは切った。毎回旦那が切ってくれるのだ。頭が上がらない。

軽やかな足取りになるほど、未来の見通しはよくない。かっこいい35歳になったとは口が裂けても言えない。

ただ。髪を切っただけで、もう少し頑張るかという気になれるなら。もうちょっと生き続けてみるかと思えるなら。そんな単純な自分が好きだなと思えるのだ。