書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

熱量とか心境とか

久しぶりにブログを書きたくなったので書いていく。ブログとの距離感は「書きたいときに、思い切り書く」に落ち着いてきたようだ。

 

以前、体外受精を諦めた話をした。

 

clton.hatenablog.jp

 

このブログを書いた頃、子供は完全に諦めきれたと思っていた。しかし最近子供の話題が家族間で出たとき、「本当に体外受精をしなくていいのか?」と自らに疑問が湧いてきた。

 

体外受精

わたしがこの4文字の文字列について知っているのは、文字の書き順と、治療に関する漠然とした情報だけだ。お試し期間なんてない。実際の心情や体感もわからない。

勢いで、YouTube体外受精に取り組まれているご夫婦の動画を見てみた。

 

youtu.be

 

チャンネル主さんの穏やかな声に耳を傾け、徐々に完成していく刺繍の様子を眺めながら、体外受精の具体的な流れをざっくりと確認した。わたしにもいけそうだと思う反面、自己注射は痛そうだとも思う。針を刺すのを想像するだけで、脳内がぐわんぐわん揺れる。

わたしは本当に子供が欲しいのか、それとも欲しくないのか。自分で自分がわからない。体外受精をしたいなら、大学病院に行った際に意志決定すればよかった。既に2ヶ月も出遅れているじゃないか。既に子供ができる確率は恐ろしく低いぞ、やっても無駄じゃないかとも思う。

しかしネガティブな要素を全て除外し、逆にハッピーな要素を拡大解釈すれば、結局わたしは子供が欲しいんじゃないのか。旦那に子供を持たせてあげたいとかじゃなく、「わたしの」子供が欲しいんじゃないか。どうなんだ。

と、こうして文字にすると、どちらかの気持ちが急速に現実味を帯びて浮き出て来るのかと思いきや、そうでもない。本当に、フラットな気持ちで文字にしているのに、わからない。

体外受精しないとほぼ確実に子供はできないのだぞ、老後は旦那と2人で頑張らなきゃいけないぞ、子供がいるときっと大変だけど楽しいぞ!可愛いぞ!と、叱咤する自分もどこかにいる。しかしまだ見ぬ未来のため、今また一つ強くなろうと、不安に打ち勝とうとし始めてしまっている。

結局こうして文字にしてわかるのは、子供欲しい!とか欲しくない!とか、どちらかに極端に心境が偏っているわけではないのだ。どちらかといえば欲しいけど、全精力を傾けてまで欲しいとは思わない。できたら嬉しい。そう考えると、体外受精はわたしの熱量に見合っていない、気がする。熱量に見合うよう、早めに行動できたらよかったのだろうな。過去のことを思ってもしょうがないけれど。