書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

【感想】悪魔的番組・カンテレ「知らないのは主役だけ」

TVerで、カンテレのTV番組「知らないのは主役だけ」を見た。

悪魔的仕掛けが興味深かったので、感想を書く。

一部ネタバレもあるので、未視聴の方はご注意ください。

 

tver.jp

 

ドラマの概要

錦鯉・長谷川雅紀がドラマ初主演!

相方・渡辺隆がスキャンダルに苦しむ男を熱演!?

“何も知らない主役”長谷川の日常を約2カ月間隠しカメラで撮影して紡ぐリアルとフィクションが混在した新感覚ドラマ。

主役のリアルな感情を捉えた隠しカメラの映像に、相方・渡辺隆をはじめとする脇役だけで描くドラマシーンを織り交ぜることで誰も先が読めない演技を超えた「究極のリアリティーショー」をお届け! (TVer番組説明より)

 

主役の錦鯉・長谷川さん以外、全員ドッキリの仕掛人というドラマ×リアリティショー。大物役者、先輩芸人、医者や記者などリアルなエキストラ布陣が、脚本通りに本格ドラマを展開する中、1人何も知らぬ長谷川さんの「リアル」な反応を楽しむ、2段仕掛けの作品。

脚本は「サンクチュアリ-聖域」「半沢直樹」で知られる、金沢知樹さんだ。

 

ドラマの構成的感想(ネタバレ有)

45分というコンパクトな内容に関わらず、最後までじっくり堪能してしまった。筋書はシリアスなのに、視聴者側には「実はこれドッキリなんだよなぁ」みたいなフィルターが常にあるので、長谷川さんが1人深刻な顔をしていても、俯瞰で笑えてしまう。ドラマに没入しすぎず、あくまでショー的に見せる構造が興味深かった。

 

しかしまあ、悪魔的な番組である。主役が長谷川さんじゃないと成立し得ないというか。制作者側が、長谷川さんを信頼した上でのキャスティングだと思うのだけど、にしても無知な人間に超!酷な二択を迫り、人生をかけて選択する様をショーとして視聴者に提供するって。TVに出演するって大変やな!TRPGでもこんなひどいのやらんで!

 

この番組が成立するために、主役に求められる点は3つ。

①ドッキリに気づかないこと

②逃げずに最後まで問題に向き合うこと

③ネタバラシしても遺恨が残らないこと だと思う。

①から③までをパーフェクトに満たす長谷川雅紀さんという人間は、あまりにも純粋で素直で単純だ。制作者の思うツボだ。

 

錦鯉の2人にコンビ愛があるのも演出の要になってんだろうな。スタッフが憎たらしいねぇ(笑) だって最後に迫られる二択のどちらにも、愛があってドラマがあって。長谷川さんが答えさえ出してくれれば、もうドラマとしては成立しちゃうんだから。役者がいい演技さえしてくれれば、既にシナリオ勝ちしてるのよ。問題を持ち帰らせないよう、砂時計で逃げ場無くすのもうまい。

 

相方の渡辺さんはどういう気持ちでこの仕事を受けたんだ。「面白い番組だな」くらいの感じだったのかな。情緒を揺さぶるドッキリはよく見るけど、ドッキリにかけられる人をここまで案じたことはない気がする。長谷川さん、終わったらショックで寝込んだりしないかしらって。それ程までに時間をかけ、緻密に作りこまれていたって話なんだけれどさ。

ただやはりキャスティングの妙というか。主役を長谷川さんにしたのは素晴らしすぎた。ネタばらしされた後、長谷川さんは「変わった番組ですね」と一言。その言葉で共演者・スタッフ全員を一斉に笑顔にし、自分も破顔している様子は、視聴者を何より安堵させた。やはり長谷川雅紀がTHE主役なのだ。

皆で笑い声をあげ現場が一体になった様子を、番組最後にちょろっと流すとは。番組制作陣め、ズルいぞ!

 

ドラマの物語的感想(ネタバレ有)

やっぱり最後の二択、どっちを選ぶのかは気になっちゃった。

渡辺さんを身綺麗にして救うこともできたけど、錦鯉を失うことのほうが恐ろしかったんだねえ…。

わたしなら胆石渡しちゃうよ。自己犠牲で全てが解決するならさ。でもさ、お金よりも名誉よりも地位よりも、2人が築き上げてきた関係性とか、漫才とか、芸とか、今の錦鯉を作り上げた核の部分が何より大切だったんだねえ。

番組制作陣の思惑にまんまと乗るようだけど、人間の芯の部分を見せられるとやっぱ弱いというか…グッと来てしまう。視聴中、泣いちった。嘘のない、感動的なドラマに飢えているのだ。

 

二択を迫られた際の、長谷川さんと渡辺さんの最後の話し合いはリアルでよかった。

渡辺 「声と顔だけでやってきたんだよ俺なんて今まで…」

長谷川「いや動きも…」

渡辺 「あ、動きもあったか…」

このやりとりは切ないながらも可笑しくて。本気で話してる時に生まれる、一瞬のきらめきというか。2人の関係性からしか生まれない、珠玉の会話だと思う。

 

ハリウッドザコシショウさんや、ばいきんぐ・小峠さんなど、芸人さんが登場するシーンも、お笑い好きとしては嬉しかった。飲み会のシーンなどかなりリアルに映っている。雑な仕掛人ではなく、名作ドラマのパーツとして芸人が扱われるのは嬉しいなと思う。

 

最後に

正直好みは分かれる番組だと思う。

悪趣味だという人もいるだろうし、人の心はないのか!と思う人もいるだろう。

しかし、主役が錦鯉・長谷川さんだから、安心して最後まで見てほしい。これはあくまでドッキリで、エンタメショーで、バラエティ番組なのだと、わたしは思う。

スタッフ、そして相方渡辺さんが全身全霊の信頼をおいた、主役・長谷川さんの勇姿を見届けてあげてほしい。

 

tver.jp

私の世界の見方。

振り切れた。前回の日記から心持ちが変わった気がする。仕事や人生の不安からのストレスが半端なくて、上手く処理できなくてモヤモヤとしていたけど。何かふっきれたような、どうでもよくなったような、一旦諦観の先に来たような心地がしている。

 

一昨日。精神力40%の状況で仕事に行った。鬱々としている。誰にも気遣いなんてできない、人間関係を良好に保つなんてできない、きつい。そう思いながらも、仕事を始めたら始めたでそれなりに同僚と会話はするし、接客も問題なくできた。「ここではこう振る舞う」のが、癖として染み付いているんだろう。社交性を発揮する自分に驚いた。

が、今までとは何かが違う心持ちを感じた。人が皆ジャガイモに見える。自分は自分、人は人、の境界線が見える。「内面が荒んだ自分」と「目の前のお客様に丁寧に接客する自分」は同時に存在できるのだと理解した。

 

自分はおそらく、行動には心が伴っていないといけないと考えていた。感情を動かさなくては相手に失礼だ。相手に感謝を、礼を、気遣いを。そして内面もまた、行動に伴い感謝を、礼を、気遣いを。

内面と行動に一貫性を重要視する癖があるのは何故だろうと思い返すと、小学生の頃、正門前で待ち構えていたキリスト教の方に見せられた紙芝居を思い出した。過去の出来事と内混ぜになって記憶内容はぐちゃぐちゃだが、天国の住人たちは思っていることが、口に出さずとも相手に伝わる。だからどんなときでも感謝の気持ちを持っていないと地獄に落ちる、みたいな話だった。真っ赤に燃え盛る地獄の業火に焼かれる人々が描かれた醜悪な紙芝居。幼心に恐ろしかった。ゆえに、心の中に浮かんでは消えるネガティブな感情は、地獄への片道切符だと思って忌み嫌っていた。

 

そういえば演劇をやっていた頃、自分は演技がど下手くそだった。台詞はただ文字面を追うだけではいけない。内面から浮かび上がった感情を言葉にするのが大切だと教わったが、わたしは浮かび上がる感情の、「喜怒哀楽」の大まかな部分すら拾うことができずにいた。拾うことができないというのは、理解ができないということだ。人間の感情は複雑だ。嬉しいと言って内面は悲しんでいる、それが文字情報では理解できるが、自らの体で体感することができなかった。内面と行動の一貫性を主義として生きてきたのだから、当然かもしれない。

 

一昨日、精神力が落ちたことで、内面と行動を一致させるのが困難になった結果、それぞれの世界が分離された。内面はわたしの自由だ。相対する貴方の内面も自由だ。外界は取り繕うけど、あとは自由でいいじゃないか。全員に徹頭徹尾親切なんてできやしないんだ。肩の荷を大きく振りかぶって、遠い彼方にぶん投げってやったような、呼吸のしやすさを感じた。

 

それが理解できたからか何なのか、そこからの過程はよくわからないけれど、外側で起きている事柄に期待しすぎなくなったのを感じる。自分の感情のケツ持ちは誰がしてくれるわけでもない、結局最後は自分しかいない。それが実感として体に落ちてきたというか。ストンと納得できたよう感じ。

 

 

自分は心の拠り所を見つけては頼ってばかりいた。縋ってばかりいた。誰かがいてくれるから、自分は成り立っていて。支えになってくれる人がいないと、立っていられないんじゃないかと不安で仕方なかった。今の幸せを脅かす存在や出来事が起こると、足元がグラグラするのを感じて、すごく恐ろしかった。

ここ数年はコロナ、円高。そしてここ1ヶ月は人間関係のストレス負荷が高かった。わたしには何ができるんだ。何かしなくちゃいけないんじゃないか、でも自分だって頑張っている、誰かわたしを認めてくれ、こんなに苦しい自分を肯定してくれと、もがもがと足掻いていた。

外側から訪れる何か。大金か、大仕事か、めちゃくちゃ面白い出来事か、わたしを変えてくれる・没頭できる趣味か、とびきりのサプライズか、神様の襲来か、そんなもので自分は大きく変われると思っていたけど。

私の世界の見方は、急角度で変化した。見えている世界は変わらないのに、悲しいほど、今の見方は呼吸が楽だ。

落ち込んでいる乱文

近況。楽しさよりもしんどさや、虚無感が感情の大半を占めているような気がしている。

色々と上手くいっていないことはある。仕事は年数を重ねてきたけれど、求められることに際限が無くなってきて、指導する側、ロールモデルの立場になってしまったことから、モチベーションが保てなくなってきたり。ネット上ですら人との会話に気疲れしたり。楽しかった趣味の熱が薄れて、自分の世界だけで自己完結する事柄に安寧を覚えたりしている。英語だ資格だって、自己研鑽に励むことが今はできないでいる。集中力を欠くし、勉強をしようと行動し始めても、かつての楽しさがない。何より「自分はもっとできる」といった妙な自信よりも、「自分はどうせこの程度だ。継続もできないし、身にもならない」という諦観の念が強くなっている。人前でのお喋りも徐々に苦手意識が強くなっている。物事に興味を持つのが何だか難しい。

 

「みんなこんな感じなのかもしれない」と自分を、架空の世間一般と同一の棚に並べようとしている。誰もが仕事が楽しい訳じゃない、つらさしんどさを抱えながら、それでもプロとして笑顔で生活しているんだと自分を納得させて、架空の世間一般と同化したいのだが、上手くいかない。心の機嫌の取り方がへたっぴなのはよく知っているが、年を重ねる程に、心の弱さや要領の悪さを痛感する。

 

仕事において人疲れを起こしているのかもしれない。別に期待をされている訳ではないのに、期待に応えなきゃと思ってしまったり。誰かから仕事の相談を受けたことで、自分の置かれた職場環境に気づいてしまって、プレッシャーが大きくなったり、見て見ぬフリをしていた不満が膨らんだりして、「この人たちが好きだから!」「お客様が大切だから!」心の持ちようでは処理できない壁にぶつかっている気がする。

 

メンタルがやられると自己愛が強くなって、ネガティブになって、周りを顧みることが難しくなる。そういう考え方の癖があるのだとはわかってはいるけれど、頭ではわかっていても改善できないのが苦しい。

やる気が起きないのをどうにかしたい。過去の自分がやると決めたことなのだから、義務感でも惰性でもなんでもいいから、責任を果たさなきゃいけないのだけれど、何もかも全て放り出してしまいたくなる。

 

命すらも放り出してしまいたくなるが、痛いのは嫌だし、そんな勇気があるのならここで椅子に座ってブログは書いていない。小心者なのだ。落ち込んでどうしようもないときは、過去の後悔している出来事を思い出す。過去の自分のためにも、ここにいない誰かのためにも、わたしは無様でもいいから生きねばならないと思う。

 

久しぶりのブログだし、落ち込んでいるしで、とにかくまとまりがないけれど、文にすると少しだけ気が楽になる。何が変わった訳でもないが、みっともないことを、みっともないまま文章にするのは、自己を肯定する過程のような気がする。

Steam版パラダイスキラーを遊んだ感想

パラダイスキラーをクリアしました。

 

※物語の核心に触れるネタバレはありませんが、収集要素に触れています。何の事前知識も無しにクリアしたい!という方は読むのをお控えください

 

store.steampowered.com

store-jp.nintendo.com

 

youtu.be

 

パラダイス島で天地を揺るがす殺人事件が勃発。永遠の終身刑をかっくらっていた捜査官、レディ・ラブ・ダイは解放され、捜査に乗り出す。オープンワールドなパラダイス島を駆け巡りながら容疑者と会話し、物語の謎を解き明かせ!

シティポップのように洗練され、尖ったデザインが独特の世界観を生み出しているゲームです。

 

Steamで購入した2021年当時の触れ込みは、オープンワールド×推理ゲーム!!色んな賞を取って海外の評判も抜群!そんなパラダイスキラーがついに日本語化!遊ぶしかない!というもの。

推理ゲームが大好きなわたしと旦那。2人で協力プレイしようとダウンロードしたはいいが、その期待は一気に地に落とされます。

長文かつ難解な日本語訳。

どこにでも行けるが、広大すぎる3Dマップ。

2人でプレイするにはテンポが冗長すぎたため、今の今まで積みゲーとなっていました。

 

改めてクリアまで遊んでみて。

パラダイスキラーは中身の90%が収集ゲーです。スタイリッシュな見た目とは裏腹に、「証拠は足で掴むんだよ!!」と言わんばかりの泥臭さ。マップに隠されたアイテム・証拠をひたすら足を使って探す作業が苦でない方、むしろ全部集めてやるぜ!って癖(へき)のある方はとても楽しめると思います。自分はこつこつした作業が好きなので、時折悲鳴をあげながらもアイテム集めを満喫しました。

 

広いマップを移動するストレスはありますが、移動の指針は常にシステムで確認できるので、詰まるところはさほどありませんでした。攻略を見た点は2か所だけですね。(最後の足湯の場所と、ジッグラドのあるアイテムに関してくらい)

収集が進むと自然とできることが増え、行ける場所も増えていく。真相に近づく中で、開拓者としての達成感を覚えました。足湯には……感動しましたね…!!!

 

アイテムの説明やらキャラの台詞は、世界観が強すぎます。力技で翻訳したような文には時折げんなり。ゲームのテンポを重視したく、あまり本気で読み込まずプレイしました。

容疑者たちとおしゃべりできるのは嬉しいんだけど、やりとりが哲学的でイマイチ盛り上がりにかけるというか。デッドネブラをはじめとした、マスコットキャラ的な子との会話はほっこりしましたね。シンジ…お前は何なんだ。

パラダイスキラーにおける宗教観、倫理観、政治観などが、収集アイテムの端々から伺えるので、想像を掻き立てられます。物語をしっかり読み込めば、パズルのピースを組み立てるように、パラダイス島の歴史が解き明かされていくのでしょう。わたしはやりませんでしたが、一筋縄ではいかない世界観に浸かりたい方は、ぜひ。

 

声を大にしておすすめです!とは言えない。推理ゲームと評すのも何だかなあ、いや、一部謎解き要素もあるにはあるんだけど…。

ツッコミどころはたくさんある。遊び終わった今でもたくさんあります。

が、収集ゲーとして長時間(約25時間ほど)楽しめたし、他にはないどぎつい世界観とプレイ感が楽しめた。製作者さんのこだわりもたくさん詰まってて、異界・パラダイス島のお散歩も愉快だったので、わたしは満足!!!

 

気になった人は遊んでみてね!!

変なプライドをどうにかしたい

8月ですね。今月はゆるゆると書いていきたい。

 

ここ1週間は自己嫌悪と戦っている。接客業してるのに内向型でビビりだし、相手の気持ちを汲んだ臨機応変な質問ができないし。自分ではやれてると思っていた仕事上の立ち回りが、別な子と比べて全然機能的でないとわかったり。とにかく仕事ができない!って悩んでる。掛け持ちで仕事をしているんだけれど、一方の職場では「全然仕事ができない人間」だと思われていて、しかもそっちが本業ときたもんだから、余計モチベーションが上がらない。

 

とりとめのないマイナス思考ばかり、頭の中でぐるぐると巡る。

元来、怖がりな人間なのだ。準備をして出来上がった完成品を目の前に出したいと思っていて、不恰好な自分を曝け出すのを嫌がっている。こんな自分を変えたい。どうやったら変えることができるだろう。こんなことを10年くらい悩み続けていて、何度も希死観念に囚われて、結局「今できることをするしかない」と思って、生きるのを止めないでいる。みじめなりにしぶとい人生である。

 

できることって何か、書き出してみる。

本業は不得意なことばかりだが、少人数の職場だし、同僚が決して手をつけない雑務もあるので、ちっぽけながらも役割はある。いつまでこの仕事を続けるかはわからないけど、心を病まない程度の関係性を維持していきたい。

わたしが「出来ること」「出来ないこと」の範疇を理解せずに仕事しようとして、周りを呆れさせている。出来ないと認めたくないし、出来ないと客に伝えるのが恥ずかしい、怖いと思っているのだ。「出来ない」を克服しよう!と思うほどのモチベーションがないのに、この振る舞いなのだ。周りも辟易とするだろう。

分をわきまえ、わからないものはわからないと正直に伝え、誰かにパスする勇気を養おう。

同僚のちくちくした言葉が理由で、出来ないと伝えづらくなった、ってのもあるんだけれど…。彼らの仕事に対する思いは尊敬している。この職場のトップになろう!とかは全く思わないんだけど、ここで働く以上はもう少し役にたつ人間になりたいし、変なプライドを矯正して円滑なコミュニケーションを取れるようになりたい。

 

副業に関しては人に恵まれている方だ。ただ、本業に比べて従事者も多く、圧倒的にマルチタスクで忙しい。学んでも学んでも、次から次へと新しい仕事が出てくる。出来ない人間なりにコツコツ働いていたら、部分的にリーダーをまかせてもらえるようにもなった。しかしまだ未熟だ。

若い子も働いていて、入れ替わりが激しい職場だ。若い子がこんなにできるのに、ただ年齢だけ重ねてきている自分はなんて情けないんだ、とここ最近しゅんとするのが多い。周囲からの評価と自己評価はおそらく異なるし、わたしの仕事ぶりを好ましいと思ってくれている同僚がいるのは確かだ。そうでなければ、これほど楽しく働けないだろう。

勤務時間は短いが、次の目標もたてやすい職場だ。鈍足だが少しずつでも新しい知識を仕入れて、細々と長く働きたい。年齢とともに高くなっていくプライドを、こちらでも矯正したい。新しいことを学ぶのに年齢は関係ないし、若い子からも学ぶべき点はたくさんある。謙虚さを失わずに、日々更新される新しい情報と向き合いたい。

 

色々書いたけど。

「〜したい」って書くとただの「希望」になって実現しない。「〜する」って書くと「決意」になって実行に移せる、ってどこかで見た気がする。

でも今の気持ちに近い書き方は「〜したい」なんだもの。しょうがないよ。やれることをやっていきたい、そう思って生きてきたんだからいいじゃない、許してよ。蛇足。

 

口語でのブログと、びっくりドンキーのヨーデル

話し言葉でブログが書ける人って素敵だよねーと思って、この記事を書きだす。

できるだけ口語で。でも文章だし、ある程度わかりやすくしたい。

 

書き始めてさっそくわかったこととして、自分は言い方がまどろっこしい。あと、物事を切り出すまでのスピードが遅い。

「これが好き!」「これがしたい!」って話し出せばいいのに、まずは理由というか、動機みたいなのを先に言いがち。「〇〇〇だと思うから、こうしてみる」みたいな。

それはたぶん、相手に100%自分を理解してほしい、誤解してほしくない、曲解しないで、って思ってるからなんだよね。ちゃんと伝わってるかな?伝わらなかったら、嫌われるんじゃないかって考えてるからなんだよね。

 

昔役者仲間に「そこまで言わなくても伝わるよ」的なことを言われた。理由とか補足説明とかいらないよ、みたいな。そこでわたしはハッとしたんだよね。あまりに昔のことだから、詳しくは覚えてないんだけど、自分の話し方は布石を置きがちだってことはそのとき理解した。

 

もっとストレートに、ばん!ばん!って話したい。鬼滅の刃の蜜璃ちゃんみたいな。勢いでいいから、感情まかせでぐわっと!自分はこう思ってまーす!!みたいな忌憚のない感じで。恐れに打ち勝てるような喋り方をしたい。

練習したらできるようになるんだろうけど、練習するほど会話スキルを欲しているかといえば欲していないので、せめてブログくらいでは感情を吐露していきたい。

 

急カーブを切るけど、ヨーデルがおいしい。

びっくりドンキーヨーデルよ、ヨーデル

 

www.bikkuri-donkey.com

 

最近ヨーグルトでお通じに劇的な影響が出るとわかって、乳酸菌に高い信頼を置いている。びっくりドンキーで朝活するのが最近のMy流行りなので、そこでつい頼んでしまったわけさ。いきいき乳酸菌ヨーデルを。

まず見た目にびっくりしたね。

これが噂のびっくりドンキーグラスかと。細めのビールジョッキみたいな、ブーツグラス風な大ぶりなデザインに、白い飲料がなみなみとつがれている。持ち手はざらざらしていて、太ましくて持ちやすい。今まで冷蔵庫で待機してましたか?ってくらい冷えてもいる。ホスピタリティじゃないの。

ごくりと一口飲んだら、濃い!濃いぞ~~~~

もうこれ飲料じゃなくて、ヨーグルトやん。濃厚かつ酸味のないやつ。舌にのせると重みがあるのに、ミルクくさくなくてごっくりごっくり飲める。一緒に頼んだトーストと卵も意外と腹が膨れるのに、どすこい力士レベルの重量感のヨーデルは、腹をひたひたに満たしてくる。腹いっぱいになるぞ!!!

 

ええ~~~~~~、美味しいんだけど~~~~~~~~~。

なんでこれ今まで飲んでなかったんだろ。びっくりドンキーにしか売ってないの?信じられない。おいちい~~~~~

 

全人類飲め。飽きるまでは朝活のお供はヨーデルでいいな。

謝るを知る

最近身近な人からびしっと指摘された。

「悪いことしたら、『わかった』じゃなくて『ごめん』じゃない?」

自分は注意されたことをよく忘れる。忘れてまた同じ内容を指摘されるけど、「理解はしているんだから、別に悪いことじゃなくない?次気を付けたらよくない?」と思い「わかった」と答えていた。些末な問題だから、重箱の隅をつつくように指摘しないでほしい、相手もぷんぷんしながら言わないでほしい、そもそも言い方がよくない、とも思っていた。

 

起こったのは小事だ。ここに物を置くなと言っているのに、毎回置いてしまう、といったことだ。

自分は注意されたり叱られるのに慣れていない。両親からの賞賛や叱責が少なく、受験なんかでも失敗経験が少なかった。プライドだけ高くて、傷つくのを極端に恐れる傾向にある。

だから指摘された際も言い返した。「あなただって同じことをするじゃない。間違うじゃない」と。

すると相手はこう返した。

「あなたは誤ったことをした際も、そうやって言い訳をする。それも言い訳になっていない。自分も間違ったり忘れることはある。間違うなというんじゃない。間違っていると指摘されたら、認めて謝るべきなんじゃないか」

わたしも相手もかなりヒートアップしていたので、実際はこんな柔らかい口調ではなかったけど、図星を突かれて、わたしはもじもじとした。悔しいけど、正しい。

 

ここ最近、相手とのコミュニケーションが上手くいかないと思っていた。

相手は視野が広くて、わたしが気にも留めていない物事にも気づいて、わたしがやっていないとイライラする。わたしは大雑把だから、やりたいようにやって、何なら相手に合わせていると思ってイライラする。意識レベルの誤差が、互いの関係をちくちくしたものにしていた。

困難にぶつかった際、相手を変えようとしてはいけない。自分自身が変われば、自然と周囲も影響を受ける。でも、自分は物事を大雑把に視認しているから、自分の何をどう変えればいいのかわからなかった。

相手の直球な言葉は、わたしの悩みに直撃する答えだった。

 

「謝る」については、わたしには忘れがたい記憶がある。

役者をしていた頃、「謝れない子供が、色んな経験を通じて成長し、謝れるようになる。そして正面から謝ると、心がとてもスッキリすると学ぶ」というシーンを演じた。自分は子供役だ。何回も稽古したが、「スッキリ」の気持ちがイマイチ理解できなかった。

役者は役の影響を受ける、なんていうけど、自分は結局あの役を自分の物にできなかった。自分の非を認めることができない、プライドだけが高い弱虫な自分のままだ。演じてから10年近く経つのに、小骨のように喉の奥にひっかかったままだった。

 

指摘されて以降、どんな小さなことでも謝るようになった。「また言われたくそぉ」と悔しくなるのはたぶん心の癖だろうから、そこは我慢。あと、やってもらって当然と思っていたことも、こまめにお礼を伝えるようにした。仲の良い相手だから、甘えていたふしもあると認めた。すると不思議なもので、あんなにちくちくしていた関係性が和らいで、前よりもコミュニケーションが円滑になった。相手も前より肩の荷が下りたような表情をするようになった。相手には感謝を伝え続けなくてはいけないと思う。義務とかじゃなくてね。

 

あと謝るようになったら、心もそのあと、ちょっとだけ「スッキリ」するようになった。今になってあの役がわたしに微笑んでくれたように感じて、ちょっと今書きながら泣いている。