書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

落ち込んでいる乱文

近況。楽しさよりもしんどさや、虚無感が感情の大半を占めているような気がしている。

色々と上手くいっていないことはある。仕事は年数を重ねてきたけれど、求められることに際限が無くなってきて、指導する側、ロールモデルの立場になってしまったことから、モチベーションが保てなくなってきたり。ネット上ですら人との会話に気疲れしたり。楽しかった趣味の熱が薄れて、自分の世界だけで自己完結する事柄に安寧を覚えたりしている。英語だ資格だって、自己研鑽に励むことが今はできないでいる。集中力を欠くし、勉強をしようと行動し始めても、かつての楽しさがない。何より「自分はもっとできる」といった妙な自信よりも、「自分はどうせこの程度だ。継続もできないし、身にもならない」という諦観の念が強くなっている。人前でのお喋りも徐々に苦手意識が強くなっている。物事に興味を持つのが何だか難しい。

 

「みんなこんな感じなのかもしれない」と自分を、架空の世間一般と同一の棚に並べようとしている。誰もが仕事が楽しい訳じゃない、つらさしんどさを抱えながら、それでもプロとして笑顔で生活しているんだと自分を納得させて、架空の世間一般と同化したいのだが、上手くいかない。心の機嫌の取り方がへたっぴなのはよく知っているが、年を重ねる程に、心の弱さや要領の悪さを痛感する。

 

仕事において人疲れを起こしているのかもしれない。別に期待をされている訳ではないのに、期待に応えなきゃと思ってしまったり。誰かから仕事の相談を受けたことで、自分の置かれた職場環境に気づいてしまって、プレッシャーが大きくなったり、見て見ぬフリをしていた不満が膨らんだりして、「この人たちが好きだから!」「お客様が大切だから!」心の持ちようでは処理できない壁にぶつかっている気がする。

 

メンタルがやられると自己愛が強くなって、ネガティブになって、周りを顧みることが難しくなる。そういう考え方の癖があるのだとはわかってはいるけれど、頭ではわかっていても改善できないのが苦しい。

やる気が起きないのをどうにかしたい。過去の自分がやると決めたことなのだから、義務感でも惰性でもなんでもいいから、責任を果たさなきゃいけないのだけれど、何もかも全て放り出してしまいたくなる。

 

命すらも放り出してしまいたくなるが、痛いのは嫌だし、そんな勇気があるのならここで椅子に座ってブログは書いていない。小心者なのだ。落ち込んでどうしようもないときは、過去の後悔している出来事を思い出す。過去の自分のためにも、ここにいない誰かのためにも、わたしは無様でもいいから生きねばならないと思う。

 

久しぶりのブログだし、落ち込んでいるしで、とにかくまとまりがないけれど、文にすると少しだけ気が楽になる。何が変わった訳でもないが、みっともないことを、みっともないまま文章にするのは、自己を肯定する過程のような気がする。