祖父の93歳の誕生日をお祝いした話
祖父がめでたいことに御年93歳を迎えた。
父と義母が祖父を連れ出し誕生会を開いてくれたので、急遽飛び入り参加してきた。
参加できたのは全くの幸運であった。1週間の大半は深夜まで仕事をしているのだが、その日はたまたま早上がりOK。しかも会場も職場から近く、皆がお開きになる前に家族と合流が叶った。
職場を離れる前、参加する旨を連絡したのだが、酒が入った面々が確認する訳もなく。わたしが登場すると「おおーーーっ!よく来たよく来た」とハイテンションで席を勧められる。
昔よりも少し口数が少なくなった祖父も、にっこり笑みを浮かべて出迎えてくれた。
いやはや祖父には驚かされることが多い。
体は年齢相応に弱ってきているものの、まだ自身の足で歩くことができる。
そして胃が強い。
肉も魚もそれなりに食べるしお酒も嗜む。誕生会でも出されたコース料理をぺろりと平らげ、ビールを2杯飲んだという。この健啖さは、祖父の息子であるわたしの父、そして孫であるわたしに確実に受け継がれている。
父はその夜ビールを6~7杯飲み、わたしはわたしで職場で夕食を済ませてきたばかりなのに、黒ビールを2杯、ブイヤベース、串カツ3本を平らげた。ブイヤベースは海老の出汁が上品だし、串カツはさっくさく。美味しかった…。
長年連れ添ってきた最愛の祖母を亡くし憔悴していた祖父は、それでも着実に年を重ねた。
孫のわたしが時の流れを強く感じたのは、祖父の趣味であり、ライフワークでもあった能を辞めたときだろう。
わたしが東京に住んでいた当時、水道橋の能楽堂に招かれたことがある。そこで祖父演じる土蜘蛛の舞台を見ることができた。
能の謡いは正直全くわからなかった。が、彼は勇ましく、熱心に演じていた。袴と烏帽子を身に着け、刀を手に、土蜘蛛を切りつける。舞台に蜘蛛の糸を模した和紙がばばっ!ひらりひらりと舞う。
時に言葉を詰まらせ助力を受けていたものの、眉間に皺をよせ、必死に役に食らいついている姿が何より印象的だった。
いつも穏やかな祖父の、苦悶に満ちつつも、断固とした表情が忘れられない。
1年ほど前、情熱を傾けた能を離れた祖父からは、徐々に認知症の症状が見てとれるようになった。その変化は早かった。
家族のみならず、本人でさえ認知症の事実に戸惑い、うろたえた。
それでも何とかかんとか生活してきているのは、父や義母が、祖父を時折外へ引っ張りまわしているおかげかもしれない。
祖母のように、祖父と同じ時を過ごした人々は徐々に舞台から姿を消していく。誰にも分かち合えない孤独であろう。人生の若輩者である自分には、まだ想像することしかできない。共に過ごした誕生会のひとときが、わずかでも癒しになればと思う。
と、文章では殊勝に思い返したりなどするが、誕生会は大きな笑いで満ちていた。
祖父の校長時代のエピソードで笑い、
店長さんが祖父の振る舞いを絶賛してくれたのだが、そのあまりの大袈裟な言葉遣いに笑い、
ケーキ代わりのピザへ蝋燭を立てたらしいのだが、1本31歳分として、3本たてた話に笑い、
遅れて登場してきた孫が串カツを勢いよく貪る姿に笑い、
御年70を超える父親が、よくスマホの広告で見るアプリ「プロジェクトメイクオーバー」にドはまりしているという告白に笑い、
とにかく家族4人でほろ酔いで笑いまくった。楽しかった。
来年もこの店で、みんなで誕生会を祝おう。
この店でビールを飲んだ最年長記録を更新しようと盛り上がり、会はお開きとなった。
年を重ねても、こうしてみんなで盛り上がる場を作らねば。そして自分も参戦せねばと、孫としても心が熱くなった夜であった。