書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

凡人が凡人である事実を認識した

あまりにもスケジュール管理が下手で、やや多忙な日々をおくっていた。

何となく「書きたいな」と感じながらも、多忙を理由にブログとは距離を置いていた。

そんな生活を送っていて、気づいた点が1つある。

文章を書くにはエネルギーがいるということだ。

 

わたしが大抵書いているのはただの日記だし、誰に何を紹介するでもない。

が、己の心の内と向き合って、感情を深堀りしたい。言語化されずに見過ごされがちな機微を、文にのせたい。

そうやって悶々と文への理想を積み上げるたび、ブログを書くハードルがひた上がる。

「こんな文章が書きたい」「今やってること、ネタになるんじゃないか」

そんな前置きがある内容は、記事にできた試しがない。

 

書きたいときに書けばいいというか、

「そろそろ書くか〜」くらいの適当さ、余裕をもてたらいいんだろうけど。

「継続は金なり」の理想論を追いかけたい自分と、

「継続できないならやらん」と、0か100かで判断しようとする自分が喧嘩している。

2つの自分が中和しあって、今後そこそこの結果で落ち着いてくれることを祈る。

 

 

話は変わるが、ブログを離れている間に、自分に対し悟ったことがある。

「自分はあくまで凡人である。そんな凡人が己と誰かと比べても仕方がない」

である。

 

経緯について簡単に語る。

自己肯定感を高める活動を続ける中で、現在歌ってみたの動画を作ろうとしている。

歌へのコンプレックスと向き合いたくて製作を始めたが、そこでようやく己の実力を実感。

 

世界は広い。

YouTubeには、プロからアマチュアまで歌が上手い人種が溢れている。

歌が上手いだけでは視聴されない。映像美や知名度に応じて再生数は伸びる。

再生数が欲しいのか、自己表現の場を得たいのか、よく考えろと問われた気がした。

 

世界の広さを痛感した翌日は、落ち込んだ。

自分はこんなにちっぽけだったのか。ただの我の強い凡人ではないかと。

そして翌日、開き直った。

単なる凡人ならそれでいいではないか。持たざる者で結構。自分のできる範囲で自己表現を楽しんで、人生を豊かにしよう。ちょっとでも歌を聞いてくれる人がいれば、まあいいんじゃないか。

それに動画作成ソフトに取り込んだ自身の歌声を聴くのは、ちょっと楽しかった。自分の声は好きだ。自分の声の、ファン第1号は自分だ。

 

 

自己肯定感を高める活動も、ブログも、まだまだ続けるつもりだ。

具体的に何がどう変わったかは説明しづらいが、たぶんいい変化が起こっていると思う。

歌ってみたは亀の歩みになるかもしれないが(ただでさえ冬の乾燥で喉がやられがちなのだ)、公開したらブログでもひっそり紹介するかもしれない。

興味があったら、見てみてほしい。

 

弘前は今日から本格的な降雪。

急な冬の訪れに体調を崩さぬよう、皆留意して過ごしてほしい。

 

 

自己肯定感を高める活動の話はこちら

clton.hatenablog.jp