書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

コーヒートークのガラとハイドへの雑感

Steamでコーヒートークを遊んだ。

夜だけ営業するカフェのバリスタとなり、店に訪れる客へホットドリンクを提供、時には話し相手になったりする。

人間はもちろん、エルフや人狼、オークらが共存するファンタジーな世界観だが、舞台は2020年のアメリカ・シアトル。彼らはこの地で勤労に励み、恋愛に勤しみ、悩みを抱える。

バリスタ視点から彼らの人生にそっと寄り添う、粋なノベルゲームだ。

 

まだ未プレイの方はぜひ遊んでみてほしい。SteamやSwitchで遊べる。体験版もあるよ。以下文章はゲームのネタバレを含みます。

store.steampowered.com

 

 

 

ゲームを一周した今、ガラとハイドについて語りたくてしょうがないので文章をしたためる。Wikipediaや二次創作で、公式設定やら皆の解釈を一刻も早く浴びたいのだが、まずは自分の意見をまとめておかねば納得がいかぬ。認識違いがあったら笑ってください。書きます。

 

初めてのプレイ時、ハイドの「我々が友人でなかったら、どうなっていたと思う?」の台詞に固まった。カフェ・コーヒートークにガラがハイドを連れて訪れてから、3度目だかだったか。わたしはBLが好きだ。あまりの不意打ちで思わずにやけたのを許してほしい。ハイドから真意は明かされなかった。どんな思いでこの言葉を告げたのか、この2人の関係性が今後どうなるのか気になっている。

 

クリア後にコーヒートークを友人にお勧めしたら、この作品はLGBTの描写があるんだってねと話題をふられた。全然知らなかった。異性同士・男性同士、女性同士が互いを思い合う描写が見られたが、直接的な表現があったのは異性間だけだ。

 

ハイドはガラと出会った頃に別の女性(吸血鬼?)と結婚し、その後離婚している。理由はわからないが、離婚を切り出したのは妻側。気持ちの変化があったのだろう。ハイドは吸血鬼ゆえに老いるのが遅い。顔面の美醜や、財政面が離婚の理由とは考えづらい。長命種ゆえ変化には慣れがちだろうから、社会情勢の影響でもなかろう。好きな人でもできたのか、共に過ごす合理性が失われたのか。

ハイドは愛を熱量でもって訴える人物ではなさそうだ。趣を解するが、合理的だし、現実主義者で、無駄な行為を嫌う。たとえば、ハイド・フレイヤ・ルアが同席した際は、理詰めでもってルアに現実を突きつける。他者の痛みを受け止め、その傷の手当をしながら心を解きほぐすみたいな、柔和な手段は選ばない。吸血鬼の妻がどんな愛情表現を夫に望むかは謎だが、人間の女性同様、幾分感情的な言葉や態度を望むとしたら、吸血鬼男性の好意では物足りなく感じるのではなかろうか。

とにかくハイドは妻を失った。離婚後、「涙など枯れた」と告げるハイドに、当時運転手であったガラは「痛みに慣れることなどない」と告げハイドの奥底にある感情を引き出す。後悔だろうか。かつての妻への愛だろうか。ハイドは珍しく悲しみを見せる。

 

運転手兼用心棒のガラと、雇い主のハイドとの間には、はじめビジネスライクな関係しかなかっただろう。同盟が結ばれたとはいえ別種族、しかもかつての敵対種族では、心が許せる関係になるには時間がかかる。が、2人は長命だ。ハイドの離婚であったり、ガラがセラピーにかかる中で、互いの弱みを目の当たりにする機会は多い。友人として距離が縮まるのは理解できる。理解できるが、あまりにこのハイドの言葉には含みがありすぎないか。

 

「我々が友人でなかったらどうなっていたと思う?」

「どういうことだ?」

「…

 忘れてくれ。

 どのみちもう遅い。」

 

うむむむむむむむ。

まずこの言葉の意味なんだけど「友人ではなく、恋人だったら」って意味なのだろうか。互いに好意を持ち、愛しあう関係だったらと捉えていいのかしら。

そうでないとしたら?「友人ではなく、同盟が結ばれる以前の人狼と吸血鬼のような関係だったら」の意なら、その場で発言できるはずだ。今は友人同士だし、心地よい距離感が保たれている。このままの関係性を維持したいと思っているなら、言いよどむ必要はないはずだ。

そうじゃなくて、伝えるのを怯むような、今までの関係性を覆す危うい意図を持つから発言しなかったのだ。

惚れた腫れたの初々しい感情ではないにせよ、ハイドはガラを単なる「友人」としてでなく、別の定義を持たせようとしている。しかもガラの答えを待たず、己の内で解決しようとすらしている。ハイドのこの不器用加減が、とても愛しいなと思う。

言葉にせずとも、隣にい続けることで愛を形作るのかもしれない。長命の友人や家族が周りにいたら、多様な愛を目撃してきたことだろう。そんな彼すら定義できない思いを、体現しようと試みるのは、とても勇気がいることだろうし、戸惑いもあるだろう。当たり前のような顔でガラの横にいて、仕事という人生のタスクをこなし、生きていく様はとても逞しい。どんな形であったとしても、彼には納得がいく未来を選び取ってほしいし、幸せになってほしい。

しかし、ガラへの心象が変化したのは、何がきっかけだったのだろう。そういうところ気になる。

 

ガラは穏やかで、己の程度を理解していて、真摯だ。ハイドの全てを察している訳ではないが、友人として大切にしているのが伺える。群れを大切にするのと同等の感情かもしれない。受けた恩は忘れないって考え方が、人情味があるというか。血が通ったコミュニケーションが取れるので、病院みたいな場所でも長年勤務できるのだろう。家族を大事にする人狼所以と、兵役時代から今に至るまでに傷を負った経験が、ガラの人間性人狼性)を作り上げている。

兵役時代はおそらく命を奪う側でさ。己の意志とは裏腹に、任務遂行のため爪をふるったのが心に深い傷跡を残したんだろう。若い頃は腕に自信があって、その力ゆえに大勢の民を傷つけ、退役後も力しか信じることができず足掻いていてた頃、ハイドに会ったと。ハイドの人間味の幾分かは、ガラから分けてもらったものだろう。

一定周期で人狼に変貌する訳だが、兵役時代は人狼化とどうやって付き合っていたのか。抗変身薬が支給されていたか、人狼化現象そのものが、作戦に組み込まれていた可能性もある。後者なら、人狼の尊厳自体が低く扱われていることになるから、おそらく前者。人狼化と上手くお付き合いするのも仕事のうち、の認識が一般的だろう。(人狼の権利が主張され、他種族と同等の身分に引き上げられたのは近代になってから、という可能性も捨てきれないので考察が滾る)

ガラから色恋の面は伺えない。妻はいたのか、惚れた相手はいたのか、想いを寄せられたことはないのか。…いずれかはあるだろうけど、過去より今を大切にするタイプだな。奪い続けた経験から、当たり前の欲望みたいなのとは自然と疎遠になったのかもしれない。ワンコな種族的に「これだけお世話になったら、死ぬまで相手に尽くす」みたいな忠誠心があるのかも。妙に聖人じみているというか。達観している感がある。

 

ガラとハイドはこれからも共に時を過ごしていく。変わらず傍らに有るのを選んだハイドに、次の働きかけをするのがガラだったらいいなと妄想する。ハイドを最もよく知っているのはガラだから。

 

物語では、ハイドはルアに、ガラはベイリースに、それぞれの視点からアドバイスをする。ハイドがガラとの関係性を踏まえ、発言しているのだと思うと何だか考えさせられる。

吸血鬼の血統はエルフの一族と似た高貴さを感じる。人狼サキュバスのような温かみは薄そうだ。全てを手におさめることは出来ずとも、最も宝とする存在を見誤るなと、孤独に生きる吸血鬼は言う。

一方ガラはベイリースに家族の血の濃さや、彼女や彼自身を大切にすることを説き、決断は彼らに委ねる。

折衷を図るのはとてつもなく時間がかかりそうだが、違う生き物同士で生きていくのはこういう無理難題を越えていかねばならぬ。ルアとベイリースにはもちろん幸せでハッピーでいてほしいし、暗にお互いのアドバイスは、ガラはハイドに、ハイドはガラに向けてのアドバイスになってるんじゃないかと思って、もう、互いに聞かせてやりたい。

 

つらつらと長文を書き連ねてきた。

ガラとハイドは、「愛」でひとくくりに定義されなくていいので、彼ららしい有り方でこれからも共に歩んで行ってほしい。2人が見つけた形こそが、コーヒートークを遊んだプレイヤーへの密かなエールになるし、何かこう、すごい化学反応になるんじゃないかなって思う。

 

ひとまず、これが今わたしが考える、ガラとハイドの関係性だ。これでコーヒートーク2を心おきなくプレイできるし、Wikipediaも二次創作も見に行ける。繰り返すが、全くの認識外れで的外れな話をしていたら、笑ってほしい。

ただただ2人に幸せになってほしいだけなのだ。