書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

謝るを知る

最近身近な人からびしっと指摘された。

「悪いことしたら、『わかった』じゃなくて『ごめん』じゃない?」

自分は注意されたことをよく忘れる。忘れてまた同じ内容を指摘されるけど、「理解はしているんだから、別に悪いことじゃなくない?次気を付けたらよくない?」と思い「わかった」と答えていた。些末な問題だから、重箱の隅をつつくように指摘しないでほしい、相手もぷんぷんしながら言わないでほしい、そもそも言い方がよくない、とも思っていた。

 

起こったのは小事だ。ここに物を置くなと言っているのに、毎回置いてしまう、といったことだ。

自分は注意されたり叱られるのに慣れていない。両親からの賞賛や叱責が少なく、受験なんかでも失敗経験が少なかった。プライドだけ高くて、傷つくのを極端に恐れる傾向にある。

だから指摘された際も言い返した。「あなただって同じことをするじゃない。間違うじゃない」と。

すると相手はこう返した。

「あなたは誤ったことをした際も、そうやって言い訳をする。それも言い訳になっていない。自分も間違ったり忘れることはある。間違うなというんじゃない。間違っていると指摘されたら、認めて謝るべきなんじゃないか」

わたしも相手もかなりヒートアップしていたので、実際はこんな柔らかい口調ではなかったけど、図星を突かれて、わたしはもじもじとした。悔しいけど、正しい。

 

ここ最近、相手とのコミュニケーションが上手くいかないと思っていた。

相手は視野が広くて、わたしが気にも留めていない物事にも気づいて、わたしがやっていないとイライラする。わたしは大雑把だから、やりたいようにやって、何なら相手に合わせていると思ってイライラする。意識レベルの誤差が、互いの関係をちくちくしたものにしていた。

困難にぶつかった際、相手を変えようとしてはいけない。自分自身が変われば、自然と周囲も影響を受ける。でも、自分は物事を大雑把に視認しているから、自分の何をどう変えればいいのかわからなかった。

相手の直球な言葉は、わたしの悩みに直撃する答えだった。

 

「謝る」については、わたしには忘れがたい記憶がある。

役者をしていた頃、「謝れない子供が、色んな経験を通じて成長し、謝れるようになる。そして正面から謝ると、心がとてもスッキリすると学ぶ」というシーンを演じた。自分は子供役だ。何回も稽古したが、「スッキリ」の気持ちがイマイチ理解できなかった。

役者は役の影響を受ける、なんていうけど、自分は結局あの役を自分の物にできなかった。自分の非を認めることができない、プライドだけが高い弱虫な自分のままだ。演じてから10年近く経つのに、小骨のように喉の奥にひっかかったままだった。

 

指摘されて以降、どんな小さなことでも謝るようになった。「また言われたくそぉ」と悔しくなるのはたぶん心の癖だろうから、そこは我慢。あと、やってもらって当然と思っていたことも、こまめにお礼を伝えるようにした。仲の良い相手だから、甘えていたふしもあると認めた。すると不思議なもので、あんなにちくちくしていた関係性が和らいで、前よりもコミュニケーションが円滑になった。相手も前より肩の荷が下りたような表情をするようになった。相手には感謝を伝え続けなくてはいけないと思う。義務とかじゃなくてね。

 

あと謝るようになったら、心もそのあと、ちょっとだけ「スッキリ」するようになった。今になってあの役がわたしに微笑んでくれたように感じて、ちょっと今書きながら泣いている。