書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

活力があるときもないときも、同じように

朝から気分が落ち着いている。こんな状態は久々だ。

天気が良いし、仕事の開始時間が遅いし、プライベートの影響もある。程よく体が脱力して、脳みそもほわほわとしているので朝からブログを書く。

 

メンタルが安定すると活力が湧く。将来何にもならなくとも、暇だし何かしら勉強でも始めるかあと思ったりする。そんな元気な自分が好きだから、こんな状態が長く続けばいいと思ってたし、1度身に起きた精神・物理状態は再現できると思って、落ちているときも「いつか戻れる」と己を鼓舞していた。

今朝。その考えはどうなんだろう、と思うに至った。

元気だからやる、元気じゃないからやらない。それって元気じゃない自分を下に見ているというか、軽んじてる感じがした。

 

たとえばブログよ。精神が落ちているときこそ、ブログは心の拠り所になる。

底のない吐き出し口になってくれて、ドロドロした感情を見るに堪える物に昇華して、成型してくれる。朝、ふと考えた。ブログは心の掃き溜め。スッキリサッパリした気持ちで書けることなんて、ないだろう。後ろ向きな気持ちなんて隅に置いて、当分文章は書かなくてもいいかなあ、なんて。

書くことがないのではない。他の何か「有意義なもの」に時間を費やせるんじゃないか、って思ったりしたのだ。

 

じゃあブログは「有意義」じゃないっていうのか、そうじゃないだろう。

活力がある時期は、背負っているリュックの容量が急に大きくなるみたいなもんだ。荷物を増やしても耐えれる。だからといって、今まで収めていたものまで蔑ろにする必要はない。

こんな調子のいい周期は長くとも1か月程で、気分が落ちたらまた容量は戻る。戻ったときに縋りつくのが、自分が端に除けた存在なら、また己を卑下するだろう。悪循環だ。

 

何が言いたいかというと、調子がよくとも悪くとも、続けているのを急に放り出すのはよくないなって。活力がある今、勉強をもし始めるなら、調子が悪くともぼちぼち続けられるようなことをやったほうがよいな。うん。

 

こんな話を書いていたら心がぐるぐるとなって、気分が落ちてきた。ほれ。人の心、特に自分自身に対する気持ちなんて、簡単な事象にすぐ左右される、あやふやなもんだ。

だから家事とか仕事とか毎日のルーティンとか趣味とかで、ある程度体を縛り付けたほうが、楽に生きれるんだろな。

 

ふう、今日も頑張ろ。