書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

ブログに夢を見た話

最近、ある漫画の感想を綴った記事を、著者ご本人がTwitterでRTしてくださるという事件が勃発した。

 

ご本人に記事が届くというのは、そりゃもうとんでもない話である。読者の感想が著者に届いたというだけで、眼球が飛び出る程恐れ多い。反面、土下座で「ありがとうございます!!!」と大声で発声したい程の光栄だ。

誰に役立つでもない戯言を連ねる場末の一般ピーポー(わたし)の感想を、非難するでなくRTしてくださるのも、何と懐が広くお優しいのかと。もっと己の語彙力が研ぎ澄まされていれば、知名度があれば、と無いものねだりをして過去を振り返る。タイトル1つにせよ、もう少しマシな文言を選んでおけばという気がしてくる。

 

この事件に端を発し、ブログには夢があるのだなと切に思うようになった。

自分は喋るのが苦手だ。咄嗟のアドリブが弱く、語彙力の引き出しが開けるのに時間がかかる。さらに脳内に浮かんだ文章と、実際の音声とが交通事故を起こすことが多い。頭で「トマト」と思っていても、喋ってみたら「ナス」と言っていた、というレベルの粗相が日常茶飯事だ。

好きな方を目の前にして、真摯に感想を伝えようと思っても「素敵でした」「感動しました」「これからも応援しています」の定型文しか出てこない。本当はその方の印象に残るような一言を言って、心を射抜いて去りたいのに。そんな粋なことは出来んよ。そんな根性のある行為が出来るんだったら、わたし役者辞めてないもん。エネルギーだって日常会話の数十倍はかかる。たぶん本人を目の前にしたら、泣く。感情が高ぶりすぎて。

 

しかしそんな自分でも、ブログだったら流暢に思いを伝えることが出来る。冷静にもなれるし、感情的にもなれる、冗長でもいいじゃないか、と開き直れる。伝えることで、誰かにこの感情が届くかもしれない、そんな微かな夢を見ることもできる。

表現の得意不得意は様々だ。

絵で表現するのが得意な人もいれば、音声で人を惹き付ける人もいる。造形物でもって、感情を発散する人もいるだろう。

自分は文章での表現が肌に合っていた。単にそれだけのことだが、合う表現方法と出会えるというのは何とラッキーなことだろうか。

 

今回の事件がきっかけでブログが大きく変わるとかはないけど、やっぱりすごく嬉しいし、何より反応をいただけるというのは何より喜ばしいことだった。RT、本当にありがとうございました。

 

余談だがその夜、ブログのアクセス数が通常の何倍にも増えて驚愕した。インフルエンサーの影響力ってこういうことなのかと。これに甘んじず、粛々とブログやります。

著者さんのご迷惑になってもいけないので、誰も見ないような時間帯にそっとこの記事はあげることにする。わたしはこれからも、ブログで夢を見る。