ここ最近、歌を歌っている。楽しい。
「歌っている」といっても歌手デビューだと一念発起した訳でもないし、声楽レッスンを受けているでもなく、カラオケにも行ってない。何てことはない、夜に車に籠って歌っているだけだ。
まず、かつてのわたしの「歌を歌う」定義について。
わたしの歌は「誰かに聞かせて然るべきもの」であるからして、「音が取れて」当然、「響きの良い声」が出て当然。最終的にYouTubeか配信アプリか何かで人様の目に触れなければいけない、いいねを100個貰わねばならない。お金のやりとりが介在しなければならない。そうでなければ歌う意味がない。わたしの存在価値が脅かされる。
という定義だった。
うっわ、文章にすると傲慢すぎてしんどい。エグ。
端的に言うと「楽しいだけじゃダメなんだよ」という話。
で、最近その定義を改めた。
目標を「評価される」ことから、「楽しむ」方向へシフト。
歌う行為に親しむため、意識的に時間を確保。場所は他所様に迷惑がかからぬよう、密閉空間であるマイカー。時間は人気がない夜。あとはYouTubeのカラオケ動画と音声録音アプリを適宜使い、納得がいくまで歌う。
車で歌う発想は、エンターテイメント界の雄、ジェームズ・コーデンの人気企画「カープールカラオケ」から。
ジェームズ・コーデンが運転する車にスーパースターが相乗りして、カラオケする。ゲストが豪華だし、何よりジェームズとゲストの歌声が最高にポップだし、聴き甲斐がある。自然体でドライブと歌を楽しんでいる様子が、視聴者の心も弾ませてくれる。
ちなみにクロスウォークミュージカル(Crosswalk musical)もおススメ。個人的にはジェームズ企画のおススメNo.1。みんなもっとジェームズ・コーデンを見よう。
こんな風に歌いたーい。わたしももっと心弾ませたーい、ということで実践。
結果、めちゃ楽しい。
録音した声を聞くと表現力の無さや、音程の悪さ、絶望的リズム感に愕然とする。が、車の中に自身の声が響いて悦に浸れるし、何よりストレス発散になる。
少し内容が横道にそれるが、わたしは会話中に喉が痛くなるときが多々ある。理由は喉で喋っているからだ。
発声の際、喉にある声帯を振動させる。だから喉で喋るという認識は間違いではない。しかし声帯を振動させる「息」を送る圧はどこで生まれるか。体全体、筋肉だ。横隔膜とか丹田とか背中とかお尻とか。
全身が連動しないとエエ声は生まれない。日常的にエエ声で喋るには本人の素質(地声がめっちゃイケボの人とかいるよね)や訓練が必要。だから普段は、簡易的に喉周りの筋肉だけ使って会話する。と、1か所の筋肉を酷使しすぎるし、緊張しいのわたしは喉に力が入って喉を壊す。
じゃあ基本的に訓練必須かい?というと、そうでもない。
素質や訓練をすっとばして、めっちゃいい声が出る瞬間がある。
それが「感情的になったとき」だ。
喜んだり怒ったり悲しんだり。とにかく何かしら強い感情が伴うと体が連動しやすい。会話はもちろん、歌も同様だ。
わたしの場合、会話はともかく、歌は少しだけ訓練を積んだので体を連動させやすい。普段より大きな声も出るし、響きもよくなる。
【感情的になる→いい声が出る】の公式は
【いい声が出る→感情的になる】という逆が成り立つ(ことが多い)。
歌うと普段の10倍は感情的になれる。喉の制約から解き放たれて、ひとりの人間として限りなく自由な気がする。
感情を露わにするのがストレス発散になるのは公然の事実。とにかく歌うのが楽しい。そこんとこの気持ちだけ今は信じていたい。
最高に最強に歌を楽しめる自身の変化を喜びたいし、自分なりの歌い方も見つけていきたい。ブログを書くうち「車の座席に座るとお尻の筋肉が使えないじゃん!」という事実に気付いたので、しっかり立った状態で歌う機会も設けねばなるまいな。
歌について、わたしがこれからどう向き合っていくか。ふんわり見守ってやってくれるととても嬉しい。