書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

日記ブログが好きだという結論に至る、9月の終わり

9月が終わる。

この1ヶ月間ブログを書いてきて、自分はやはり日記ブログが好きだという結論に至った。

 

9月の執筆数を振り返ると、ノルマの15記事以上は達成という結果だった。

ただ月後半はどうも迷いが生じてきて、書くのが苦しく遅筆気味だった。

というのも、自分の文章力の無さを痛感し、書くこと自体に辟易してしまったのだ。

 

「書きたい分だけ書くブログ」と銘打っているのだから、稚拙な文章でも何でも書き散らせばいいじゃないかと頭では思っている。しかし恥ずかしい。

誰が見て評価するでもないのに「ちゃんとした記事を書かねば」「立派だと思ってもらわねば」と思ってしまう。

不特定多数からの目を異様に気にするのは、10〜20代のほぼ全域を他者評価に頼って生きた結果だ。不要な感情であるのはわかっているのだが、なかなか矯正できない。

それに加えて言語化能力の低さよ。自分語りならいくらでも出来るのに、己の感想を、わかりやすい形で、誰かに伝えることの難しさったらない。

ブログを書く手が止まって、ぐっと考え込むのがしんどい。文章構成や支離滅裂な思考回路を整理する時間。歴然たる経験値の差を突きつけられる時間。

己の未熟さを受け止めきれないでいる。

 

その一方で。書くことは出来ずとも、他のブロガーさんの記事は楽しく読ませてもらっていた。

主に読むのは日記記事。2021年の令和に、誰かの日記を読むのが楽しみになるとは思わなかった。

 

ブログが流行り始めた当初の当初は、日記形式が主流だったと思う。

誰も彼も身近な話題なんかで盛り上がっていた。

今やブログで収益を得ることのできる時代。役立つ情報が端的にまとめられた、情報特化ブログが隆盛だ。かつての日記ブログの役割は、SNSに取って代わられたように思える。

 

だが自分はやはり日記ブログが好きだ。

その人の家におじゃましているような、個別の空間。

日々綴られる誰か視点の生活。自分が味わおうと思っても味わえぬ、完全に手出しの出来ぬ時間軸。それらを眺めていると何やら落ち着いた。

良かったことはもちろん、悪かったこと、上手くいかなかったことも淡々と綴ってくれると、その正直さに心が洗われた。

応援してるぞという意味合いを込めてスターを送る。

文章は追えても、結局はてなidというハンドルネームしか知らぬ。読者登録していても現実には何の力にもなれぬと、インターネットの壁に虚無感を感じることもある。

しかし確かに人の息遣いを感じる空間。そこが日記ブログ。

 

明日から10月だ。

移り気なわたしだから、たぶん来月も好き勝手な記事をあげていくと思う。

感想記事、プレイログ、稚拙な紹介記事もあげるだろう。書きたくなるだろう。頭を抱えるだろう。間違いなく。

 

そして合間合間に、こうして日記をつけるだろう。誰の役にも立たないけれど、正直な感想を淡々と残すだろう。自分も自分の息遣いを残していきたいから。

うちのブログはそんなゆるい感じでいいんじゃないか。などと思う9月の雨の夜なのである。