古本屋で本をまとめ買いした休日
今日は食材や雑貨の買い出しがてら、古本屋に行ってきた。
家で隙間時間に読む本がなくなってしまったからだ。
枕元に、何気なく手を伸ばせる積み本があると何だか安心する。
以前は図書館で借りた本を積んでいたのだが、借りた段階で満足してしまい、未読のまま返却してばかり。借りては返しの作業がむしろ高負荷となった。
だったら古本を買い、読まなかったら売るスタンスのほうがむしろ楽だと思うようになった。
古本屋に到着。今日は何かしら本を買って帰りたいと思いつつ、ひとまず店内を物色。
BLやなろう小説の棚は来るたびに後ろ髪を引かれる。ネットで読んでいたシリーズを1から再読するべきか、いや、未踏破の話が読みたい。ではタイトル買いをするかのか。否。これらのジャンルで博打を打ちたくはない、と守りのスタイルに突入。棚を通過す。
ついつい啓発本のたぐいで足を止めてしまうことに気付いた。
今の自分では満足できず、常に何者かになろうとしている人へ向け書かれた本。高次元へ、遥かなる高みへ己を到達させる足がかりになる本もあれば、単なる不安からの緩衝材代わりの本もある。啓発本が果たす役割は人によってそれぞれだ。
自分にとっての啓発本は、田中圭一さんのうつヌケ同様、精神安定剤のようなものだろう。自己嫌悪に苛まれ、今やるべきことすら灯台下暗しになったとき、ぶれた軸を安定させるためのもの。「今自分ができることをすればいい」という簡単な事実に、立ち返る道しるべ。安直なドーピング薬のようなものだ。
似たような薬剤ばかり何冊もいらないだろうとは思う。だが、キャッチーな見出しと、「これを読めば大丈夫!!!」とばかりの自信ありげな著者の自画像に、興味を惹かれるのも事実。ハードカバーは本棚を圧迫するのよそう、と内容に深入りする前に通貨する。
結局30分前後、店内を徘徊してしまった。しかしやはり本屋はいい。未知の情報や物語が、こんなにも世界に溢れているという真実に触れることができる。暗く狭い視界が、一気に、扇型に開いていくような。晴れ晴れとした気持ちになる。
その一方、年々興味のない内容に見切りをつける時間が速まってきている気もする。「なんかつまらなそうだな」「これは読むのきつそうだな」という固定観念に屈するのを是としている。
どうせ読んでも理解できないし、という諦観の念なのだ。諦観の境地がいいことなのかわからない。読む意欲が湧いてくる本だけざっくざっくと読み進めるべきなのか。人生は短い。読みたい本を読んでいてもタイムリミットはすぐ訪れるのだろう。まぁ、本屋で深く考えるのはよそう。
とにかくせっかく来たのだからと、本をまとめ買いしてみた。
1・2は啓発本に焦がれて求めてしまった。
3は表紙が青色の鱗のようで美しかったのと、名句の字引き本が、家に1冊あったら素敵だなという憧れから。
4はサンドウィッチマンって本出してたんだ、という興味半分。彼らのプライベートを文章で読み解きたいという気持ち半分。
5・6はおそらく早々に読み切るであろうミステリー。館シリーズの未読本があると、手に取りたくなる。
枕元に置いて、寝る前にさっそく読むとしよう。
さて今週の有意義な休日も終了。また明日から仕事を頑張る。