変わると思わないと変わらない
自己肯定感を高める活動を続けている。
1週目、2週目を無事終えて3週目へと突入。
「目標をいくつか決め、1週間のうちに全てやりきる」生活は張り合いがある。「全てやりきる」のが重要なので、ベイビーステップな目標ばかり。義務感に喘ぐ項目もない。
ただスピード感は求められる。空き時間を見つけ着手しないと終わらない。
活動を続けるうち、ぼんやりスマホを眺めている時間に敏感になった。
わたしは油断すると「やる気」待ちをしてしまう。「よしやったるぞ!」と気合が入るまで、惰性的な行為で時間を潰そうとするのだ。
たまたま目に入った漫画を最新話まで追ったり、気になった情報をネットで深堀りしたり。Tik tokのようなショート動画は、脳のスナック菓子。サクサク感がたまらない。見始めたら止まらなくなる。
だが「やる気」なんて、やるまで出ないのだ。
今度こそ自己肯定感を高めたい。以前挫折したチャレンジを「必ず」達成するんだと己を叱咤して、手を動かす。
目標はメモや日記に箇条書きにし、1つ達成するごとに○をつけている。残り時間と比較し、脳内で計画をたてるのに役立つし、○が増える過程に充実感を覚える。
12週間後、自分の内面が劇的に変化するとは思っていない。
わたしも30代。柔軟な発想がしづらくなり、予期せぬ変化に戸惑うお年頃だ。
と書いたが、こんな固定観念的な考えをしてるから自己肯定感が低いのかもしれぬ。年齢はあくまで数字だ。
でも、10〜20代と比べて人生経験が多い分、外的影響に強いので、思想が硬化していくのは当然じゃないか…?
いやいや、わたしに人生経験が多いって本当か?できないことも死ぬほどあるし、一回り二回り若い子たちが、大学へ行ったり、起業したり、海外留学したり、紅白へ出たりしているじゃないか。年齢を重ねただけで「人生経験」ってのたまうのは傲慢じゃないか。
いくつになっても自分は変化する。
年齢という内的要因だけでなく、己が服用した経験や情報といった外的要因によって。
そこら辺を信じてみなければいけないんじゃないか、と感じてきたぞ。
「やる気」は「やる」まで出ない。
「気持ち」も「思う」ことでしか、出ないのではないか。
演劇を学んでいた際、こんな表現メソッドがあった。
「体を先に作る(怒りだったら、怒っている状態の体を模倣する)ことで、あとから感情がついてくる」というものだ。
「心が動くまで、体を動かさなくていい」という逆の教えもあったが。
自己啓発本だか心理療法の本だかに「形だけでも笑顔を作ると、不思議と楽しくなってくる」と書かれていた気がする。
変わると思わないと変わらない。
うん。そんな気がする。
ちゃんと思おう。信じる力は大事だ。
余談だが、わたしは結婚する以前に大失恋をした。
そのあと「絶対結婚する」と決意し、結婚線をピンク色のハイテックCのボールペンでなぞっていた期間がある。何でもいいから結婚運を高めたかったし、絶対叶うと信じ込んでいた。
今思えばアホだなぁと思うけど、ちゃんと結婚できたんだよな…。
結論、マインド大事。
頑張ります。
自己肯定感を高める活動について、以前書いた記事