書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

低気圧に身を任せ、詩人になる誕生日

ありがたいことに、今年も誕生日を迎えました。

例年は誕生日と職場のイベントが重なっていたのですが、今年はイベント自体が無しに。家族だけでひっそりお祝いだと予想していましたが、LINEやら電話やらでたくさん祝っていただき、もうどうしましょう、感謝しかありませんというお話です。毎年誕生日にメッセージくださる方もいて、改めてご縁のありがたさを痛感します。

 

毎年、生誕日には、自分を振り返る日記をつけたい!深く深く内省だ、精神世界という名の大海にダイブだ!と思って、はてなブログを開いたのですが、頭がまわりません。いかんせん、低気圧がきています。

青森県における2023年7月5日の夜は、気圧アプリでも「警戒」予報。せっかく美味しい料理を食べて、新しいゲームを遊んで、楽しい時間を過ごしていても、脳みそが駄菓子の飴玉のように、薄いオブラートに包まれたような感がする。

うううううううう!何でだ!何故誕生日の日に!本調子じゃないんだ!!悔しい!!

今日のブログが矢鱈にまとまりがないのも、低気圧のせいです。

 

わたしにとって誕生日は特別な日です。

7月5日がくるとどこか心が浮き立ちます。

そこそこよい年齢だし、周りに気を遣わせるのもあれだから「年を重ねました」とは言わなくなりました。でも幾人かには「ねーねー祝って!」と伝えました。祝ってほしいなら、祝ってほしいと言おう。SAY YES。誕生日に1番大事なのは、自分が素直になることだと思うのです。

自分が生まれてきたのを、自分以外の誰かにちょっとだけ認めてほしいし、ここまで生きてこれたのを褒めてもらえたら嬉しい。自分への祝福を、誰かの手をひいて手伝ってもらいたいのです。ありのままに我儘に。別にそう有るのは今日だけじゃなくていいんだけど、そういうノリなんです今年は。

 

今年に入ってから、大きな目標がなくなりました。

前までは漠然と英語をやろうとか、資格を取ろうとか、当てもなくきらびやかなゴールを設置して頑張ろうとしてたんですが、今は、なんだろう。「何者かになれる偉大なる自分」像を信じれなくなってきたというか。

以前の自分は、ネットやTVの中の人のように「素敵な職業につく人」になりたかった。誰かもが〇をくれるような、人物のコピーになるのが1番”楽”というか。何者でもない今の自分にNGを出して、安寧な夢を見たがっていました。

しかしまあ年齢も重ねてきて。いい加減己に正直にならないと、にっちもさっちもいかんでしょと思うようになりました。自分って存外面倒くさがりやで、頑張れない人間なんだと。所詮ここまでしかできぬ矮小な人間だと。思うようになりました。

人生を諦めた訳ではなく、身の程を知ったのです。出来ることと出来ないことがあって、出来ない比率のほうが恐ろしく大きい。

 

だからといって。身の程を知ったから、じゃあここまでしか出来んわ。

と投げ出したくはないのです。それは死です。私の精神の死です。狂おしいほどに余生は長い。残りの時間で何ができるのか、怠惰と老いの狭間で無様に足掻いてこそ、わたしの人生なのでしょう。

 

詩人みたいになってしまった。

 

まだ低気圧で頭がぼーっとしている。今日が明ければ、少し楽になるんだろうか。

誕生日がもうすぐで終わる。

矮小な自分を噛みしめて、そんな自分をお祝いしてくれる人たちを瞼の裏に焼き付けて、低気圧に身を任せて、残り少ない誕生日を楽しむことにする。

 

 

去年(2022年)の誕生日ブログ↓↓↓

clton.hatenablog.jp