活力があるときもないときも、同じように
朝から気分が落ち着いている。こんな状態は久々だ。
天気が良いし、仕事の開始時間が遅いし、プライベートの影響もある。程よく体が脱力して、脳みそもほわほわとしているので朝からブログを書く。
メンタルが安定すると活力が湧く。将来何にもならなくとも、暇だし何かしら勉強でも始めるかあと思ったりする。そんな元気な自分が好きだから、こんな状態が長く続けばいいと思ってたし、1度身に起きた精神・物理状態は再現できると思って、落ちているときも「いつか戻れる」と己を鼓舞していた。
今朝。その考えはどうなんだろう、と思うに至った。
元気だからやる、元気じゃないからやらない。それって元気じゃない自分を下に見ているというか、軽んじてる感じがした。
たとえばブログよ。精神が落ちているときこそ、ブログは心の拠り所になる。
底のない吐き出し口になってくれて、ドロドロした感情を見るに堪える物に昇華して、成型してくれる。朝、ふと考えた。ブログは心の掃き溜め。スッキリサッパリした気持ちで書けることなんて、ないだろう。後ろ向きな気持ちなんて隅に置いて、当分文章は書かなくてもいいかなあ、なんて。
書くことがないのではない。他の何か「有意義なもの」に時間を費やせるんじゃないか、って思ったりしたのだ。
じゃあブログは「有意義」じゃないっていうのか、そうじゃないだろう。
活力がある時期は、背負っているリュックの容量が急に大きくなるみたいなもんだ。荷物を増やしても耐えれる。だからといって、今まで収めていたものまで蔑ろにする必要はない。
こんな調子のいい周期は長くとも1か月程で、気分が落ちたらまた容量は戻る。戻ったときに縋りつくのが、自分が端に除けた存在なら、また己を卑下するだろう。悪循環だ。
何が言いたいかというと、調子がよくとも悪くとも、続けているのを急に放り出すのはよくないなって。活力がある今、勉強をもし始めるなら、調子が悪くともぼちぼち続けられるようなことをやったほうがよいな。うん。
こんな話を書いていたら心がぐるぐるとなって、気分が落ちてきた。ほれ。人の心、特に自分自身に対する気持ちなんて、簡単な事象にすぐ左右される、あやふやなもんだ。
だから家事とか仕事とか毎日のルーティンとか趣味とかで、ある程度体を縛り付けたほうが、楽に生きれるんだろな。
ふう、今日も頑張ろ。
3連休の夜、とりとめのない呟き
結構疲れた1日だった。
接客業をしているけれど、1人の時間が必要な性質なので、長時間人と同じ空間にいると気疲れする。
帰宅してふと1人になったので、PCに向かい合っている。書きたいことがあるようなないような。うすぼんやりとしたまま、キーを叩く。
今日ふと思ったこと。
・自分は今も、夢中になれる何かに出会い、1つの道を極めるような生き方に憧れているけど、そんなものはこの先現れない。義務的な雑務や、ささやかに好奇心が惹かれる何かに翻弄されながら、何者でもない自分に辟易しながら生きていく。流星のように、たまにきらりと輝く瞬間に心を和ませながら、死までの長い年月を過ごしていくのかもしれない。
ここのところメンタルが下降気味だ。打ち込める何かがぱったり無くなった気がする。気づくとスマホを触っていて、漫画やらSNSやら、一時的快楽の蜜ばかりをちゅーちゅー吸っている。
時間や睡眠を賭してでも打ち込める何かが欲しいと今でも思う。でも欲しがるのは違う。そういったものは、気づけば時間や睡眠が犠牲になっているものだから。
何者にもならず。お金も稼がず。目立たず。ただ日々降ってくるタスクを片付け、のうのうと生きていくのかもしれない。そんな自分を本当は誇りたい。お前はよく生きた。きっとお前の行動は、誰かの助けとなり、未来への種をまいている、そう言って、同じ日々を繰り返したい。なのに変なエゴとかプライドが邪魔をする。自分はもっと何かを手にできるんじゃないか、もっと人生をブラッシュアップできるんじゃないか。
往生際が悪い。今のままの自分を肯定したい。ポジティブに生きて、もっと今を楽しみたい。それがとても難しい。
・仕事中、めちゃくちゃかわいい子供に出会った。
出会い頭に自己紹介をし、わたしに名前を尋ねて「いい名前だね」と返し、親にもわたしにも「何故〇〇なの?」とたくさん質問をし、帰り際に「ばいばい」と言って抱きついてくるような子だ。
すごい。初対面だぞ。コミュ力の頭角は、幼少期から芽生えるらしい。純粋さ、素直さに、末恐ろしいものを感じたが、心がぽかぽかした。親御さんの教育が良いのだろう。
子供に限らないが、アイドル性というか、人を惹きつける何かをもっている子は確かにいる。どうしたらこんな子が育つのか、気になりはするが、詮索はすまい。
まるで広大な川の中から砂金を見つけたような、日常のささやかな潤いだ。巡り合わせに感謝したい。
接客業は3連休も仕事だ。
明日も頑張る。
ザ・ループTRPGをGMとして遊んだ感想
ザ・ループTRPGを遊びました。
キャンペーンの第2回が終わったので、現時点での感想をしたためておこうと思う。
- 前提
- ザ・ループTRPGってなに?
- 他のTRPGシステムと比べると
- 楽しかったこと
- 準備で困ったこと
- 参加者に助けられた点
- こんな人ならザループを楽しめるんじゃないかな
- GMをやりたいと思っているそこの貴方へ
- まとめ
前提
使用したのは公式ルールブック付属のキャンペーンシナリオ
「マッドサイエンスの四季」より、
第一話「夏休みと殺人鳥」
第二話「大人のアトラクション」
両方ともGMで参加しています。
参加人数はGM+PL含め4人、対面セッション。
両シナリオ共に、所要時間は4時間ほどでした。
TRPGシステムに造詣が深い訳ではないので、主の主観として受け取ってもらえたら幸いです。
ザ・ループTRPGってなに?
ザ・ループTRPG(以下ザループ)を簡単に説明しておくと、
スウェーデンの新進気鋭のアーティスト、シモン・ストーレンハーグ氏のイラスト集から生まれたTRPGで、参加者はキッドと呼ばれる10~15歳の少年少女の役を担います。
世界観はSFやファンタジー、ノスタルジーが不可思議に交じり合っている。SFがかったスタンド・バイ・ミーみたいなイメージです。
システムはナラティブ系と呼ばれていて、説明が難しいけど、参加者は積極的にGMに提案をし、語り手として物語に介入していく。GMは登場人物がどう感じているのか、目の前の人物とどんな関係性なのか、などと質問しながら物語を膨らませていく。
参加者の意志が尊重されるルールかつ、ダイスロールの判定もシンプルに作られており、自由度の高いシステムです。
ストーレンハーグ氏の公式HPにアクセスしてみたら、改めて世界観の濃厚さに圧倒された。イラストもたくさん公開されており、一見の価値ありなのでぜひ。↓↓↓
他のTRPGシステムと比べると
ルールはかなりシンプルな印象です。
判定は6面ダイスを振って、6が1つでも出れば成功。PCの能力値・技能値の数に等しいダイスを振れます。とはいえ、実際にプレイすると6は意外と出ない。
じゃあ全部運任せかというとそうではなく、キャラシ作成時に「プライド」や「アイコンアイテム(キッドを象徴するアイテム)」を設定し、それを使用すると成功が1増えたり、振るダイスの数を増やしたりできる。つまり問題を乗り越えるため、キッドがどんな選択をしたか、どんな心情なのか、自然と演出できるようになっています。
とにかく6の出目をいっぱい出せばクリアできるので、ゴールまでの過程をいかに楽しく味付けしていくかがキモです。ロールプレイ重視派の方は、すごく楽しめるんじゃないかしら。
楽しかったこと
ザループは参加者の発案を採用し、シーンを演じていきます。
誰と場面を演じたいか、どんな風に物事を解決するか、彼・彼女のことをどう思っているかなどなど。シナリオで用意された設定のみならず、参加者の想像力でもって描くシーンも多いです。
GMはシナリオを全て把握していますが、未完成の物語が補完されていく様を近くで味わえるのはやはり楽しいです。
あと自分はNPCを演じるのが好きでした。
対峙するNPCは「単なるモブ」以上の役割がありまして。キッドの心の拠り所になったり、プライドに関わっていたり、時には敵対したり、その一挙手一投足で、キッドの振る舞いも変わります。
物語に華を添える役割を担うので、心労は溜まりますがやりがいがあってよいです。
準備で困ったこと
ザループの参考文献が少なく、GMのまわし方を決めるのに手こずりました。
公式のリプレイ動画や、有名な配信者さんの卓配信などを参考にしたかったのだけど、当時は上手く見つけ出せず。
初セッション&初GMの際は、セッションのリプレイをまとめたブログを見つけ出し、何となく雰囲気を掴ませてもらいました。みんな!!クトゥルフ以外のシステムも、リプレイ書こうぜ!!(自戒を込めて)
参加者に助けられた点
ザループはシーンを区切って進んで行きます。PC1のシーン→PC2のシーン→導入→各ロケーションのシーン…みたいな。
GMがある程度で区切りをつけ、次のシーンへ移行しなきゃなんだけど、次のシーンに移る「動機」の提示が下手すぎて、参加者に空気を読みまくってもらった気がします。
たとえば誰かが行方不明になったとして、すぐに探しに行こう!とPCに思わせるのって難しいなと。
GMが「あなたたちはきっと『助けに行かなきゃ』と思うでしょう」と収集をつけることもできるけど、展開や戦闘有りきじゃなく、心の機微や情緒有りきでザループを回したいと思うと、PCの心情を進行という名のGMの語りで安易に決めづらいなと。
自発的にPCが探したいと思うまで、シーン移行を粘ったりしました。この辺は完全にわたしの好みですね。
しかしまあ全然予想通りにはいかないので、GMを温かく見守ってくれた参加者には感謝です。
こんな人ならザループを楽しめるんじゃないかな
GMもPLも、互いの発想を許容しすり合わせながら進めます。技能やボーナスの購入など、ふわっとしたルールも多く、細かい采配は卓のGM任せになるので、ある程度気の置けない仲間と遊ぶのが良いのかなと。
PLが「こういうシーンを演じたいです!」って積極的に提案してくれると、卓が盛り上がります。繰り返しになりますが、ロールプレイを好む方にはおすすめのシステムです。
あとは、こんな世界観が好きな方。
ザループはAmazon Primeでドラマ化もされていて、そのトレーラーです。シモン・ストーレンハーグ氏のイラストが現実になるとこうなるんですわ。キッドたちの真っすぐな瞳、寂寞な佇まいの風景、当たり前に存在するロボットや飛行船。素晴らしいの一言。
GMをやりたいと思っているそこの貴方へ
長年TRPGを遊んでいて、GM経験豊富な子が参加者にいるのですが、その子ですら「ザループのGM大変そう」と言っていたので、
「初めてTRPG遊びます!一発目にザループのGMやりたいです!」って子が近くにいたら、一声かけるかもしれません。チョットダケマワシヅライヨ。
参考文献が少ないのと、超自由なロールプレイができちゃうのでGMにも即興力が求められるのが理由です。
良い点ですが、ルール説明はわりと簡単です。スウェーデンやアメリカが舞台ですが、日本に変えて遊ぶこともできます。あと子供が主役で童心に帰れます。こう、純粋な気持ちになれる。
ルールがデータデータしていないというか、本を参照しなきゃ効果がわからない!みたいな感じじゃないのが、ロールプレイ重視のシステムとしてはすごく魅力的だと思います。
まとめ
クトゥルフやエモクロアといった有名どころと比べると、ややマイナーなTRPGではありますが、ザ・ループTRPGを遊んでみてほしい!PLはもちろん、GMもやってね!!!
どこかにいるGMさんと、ああですよねこうですよねと感想を共有しあいたいものです!!!よろしくどうぞ!!!
気晴らしの30分
自分はどうやら文章を書くのが嫌いではないらしい。2019年に始めた日記アプリがまだ続いているのがその証拠の1つだ。スマホではメモアプリを使用している。メモには心にひっかかった台詞やツイートを残したり、今すぐに発散させたい恨みつらみなんかを書きつけ、口から飛び出さないよう栓をしたりしている。
残したメモをどうするかといえば、日記アプリに「メモ」として全て集約している。ブログ記事も同様に集約対象だ。今書いているこの記事は、お試しでストップウォッチで時間を計って書いている。短時間でそれなりに読める文章が書けるのか、それとも支離滅裂になるのか試しているのだが、そんな文章もいつかは「ブログ」というカテゴリで日記アプリに蓄積される。
全部を全部、読み返したりはしない。ちりつもで増えていった日記は、1日分を1ページとして、既に2000ページ超になっている。このままの勢いで続けていったら、もう死ぬまで2度と目に触れないページなんかもあると思う。でもいいのだ。「この頃、わたし何してたっけな?」と振り返れるだけで十分満足なのだ。これは趣味というよりむしろ性癖だろう。利益には一切繋がらなくても、これだけ増えたんだなぁ…と悦に入れるだけで素晴らしいと思う。
これだけ厚みを増した日記が、運営会社の事情でいつかはデータが消えると思うと恐怖でしかない。今はPCでバックアップを取っているが、いつかは紙媒体に残すべきなんだろうか…。どうしたものか。
文字の集合体が好きなわたしだが、書くこと自体はめちゃくちゃ苦手だ。己と自問自答しながら書くもんだから、書いているうちに意図がぶれてくる。たとえ万人に読みづらくとも、自分が違和感を感じない文章にしたいと思って、一生懸命軌道修正していると1記事書くのに時間もかかる。本当は30分程度でパパっと書きたい。高い言語化能力が欲しい。
今日は何故こんなぶつくさ話しているかというと、別のブログ記事がなかなか書き終わらないからだ。遊んだ「ザ・ループTRPG」の振り返りをしているのだが、昨晩2~3時間文字とにらめっこしても、全然上手くまとまらない。言いたい・伝えたい、の気持ちが先走っているんだろうか。
気晴らしにこの記事を書いて、気楽にいこう気楽に、と自分を奮い立たせて、このあと別記事を書く。
大体書ききるのに30分かかった。一般的に速いのか遅いのかはわからない。わたしの中では速い。
TRPGは始まる直前が1番苦しい
TRPGの準備であくせくしているうちに、当ブログにたくさんアクセスいただいたようで、ありがたいことこの上ないです。書きたいときに、書きたい分だけ書くブログですが、気になる記事だけでも読んでいただけると嬉しいです。
さて。久々にTRPGを遊びました。システムはザ・ループTRPG。遊んだ感想は次の記事にでもあげるとして、今回は悩みについて書いていきたい。
わたしはTRPGが好きだ。自分の延長線かつ自分ではない自分になり、非日常を体験でき、仲間たちとロールプレイができる。精神が別世界に没入する感覚が楽しい。
PL(プレイヤー/参加者)としている分には何の問題もないが、自分がGM(ゲームマスター/司会役)を担当するとき、必ずと言っていいほど困ったことが起こる。セッション直前になると、胸が苦しくなるのだ。
前日から苦しむときもあれば、当日会場に来てからの場合もある。胸部が板のように硬くなり、息が上手く吸えなくなる。通常なら腹式呼吸ができているのに、肩を上下させ呼吸に意識を集中させないと、酸素が取り込めない。
そんなときは1人になり、何も考えない時間が必要だ。机に突っ伏して仮眠したり(もちろんメンバー集合前の時間を利用している)当日のシナリオのことを考えないよう、気を紛らわしたりなどするが、大抵効果がない。解決策は1つだけ。仲間が集まり、セッションが開始されることだけだ。
始まったらもうやるしかない。準備が功を奏すのを祈り、参加者のロールプレイに耳を傾ける。即興力を発揮しつつ、地の文を語り、NPC(ノンプレイヤーキャラクター/シナリオに登場し、主にGMが演じるキャラクター)として喋る。
PLのみんなのおかげでセッションは楽しい。予想もしない展開に転がるのは内心冷や汗をかくが、新たな星が生まれる瞬間を目撃するような、未知なるドラマを浴びれる。記録に残らない物語たちを目撃できるのは、わたしたちだけなのだ。幸せだ。
セッション終了後、胸のつかえは大凡消えている。始まりゃあいいのだ。それまでのカウントダウンが辛いだけで。だから毎回忘れて、またTRPGの予定を入れてしまう。
終わらない苦しみなどない。やまない雨などない、と好きな配信者が言っていた。だからGMをたくさん経験すれば、いつか楽になるのかもしれない。
この苦しさの原因は、おそらく緊張だ。
人前でイニチアシブを取る機会が少ない上、いくらシナリオを読んで準備しても準備し足りない。キャスト全員が揃うお芝居の稽古とは違う。PLもGMもぶっつけ本番。
「いや遊びじゃん」とは思う。しかし皆が真っさらな状態で体験できるのは、1回限りなんだ。PLに物語へ没入してもらいたいし。ちょっとでも楽しかったって思ってもらいたい。
それに恥をかきたくねえって思っちゃう。人前で澱みなく喋るのが苦手なのに、GMなんて1番文章量が多い。言葉に詰まりたくないし、いいとこ見せたい。もっと痛いことを言うなら嫌われたくない。わたしは自己愛の塊なんだ。傷つきたくない。だからGM練習のために久々にSpoonで配信なんてしちゃったよ。喋る練習さ。
当日うごうご弱音を吐いていたら、「そんなに緊張しなくていいのに」と旦那も心配してくれた。ありがとう。でもどうやったら緊張せずに済むかわからないんだ。
自分ってGMに向いていないよなあと思ったりするけど、ポジティブな考えで締めてみる。中盤でも話したが、わたしは始まったら肝が座る性質だ。役者時代からそうだ。転がり出せば何もかも薙ぎ倒して、とりあえずゴールはする。良い時もあれば悪い時もあるけど、ゴールする程度には安定感があるのかもしれん。
ダウンタイムは苦しいもんだ、どうせ本番直前まで七転八倒するんだと思って、苦しみを軽減できるよう手を尽くすしかない。準備不足な人間が緊張するんだ、とか昔誰かが言っていたっけな。
くそお、うるさいわ。
低気圧に身を任せ、詩人になる誕生日
ありがたいことに、今年も誕生日を迎えました。
例年は誕生日と職場のイベントが重なっていたのですが、今年はイベント自体が無しに。家族だけでひっそりお祝いだと予想していましたが、LINEやら電話やらでたくさん祝っていただき、もうどうしましょう、感謝しかありませんというお話です。毎年誕生日にメッセージくださる方もいて、改めてご縁のありがたさを痛感します。
毎年、生誕日には、自分を振り返る日記をつけたい!深く深く内省だ、精神世界という名の大海にダイブだ!と思って、はてなブログを開いたのですが、頭がまわりません。いかんせん、低気圧がきています。
青森県における2023年7月5日の夜は、気圧アプリでも「警戒」予報。せっかく美味しい料理を食べて、新しいゲームを遊んで、楽しい時間を過ごしていても、脳みそが駄菓子の飴玉のように、薄いオブラートに包まれたような感がする。
うううううううう!何でだ!何故誕生日の日に!本調子じゃないんだ!!悔しい!!
今日のブログが矢鱈にまとまりがないのも、低気圧のせいです。
わたしにとって誕生日は特別な日です。
7月5日がくるとどこか心が浮き立ちます。
そこそこよい年齢だし、周りに気を遣わせるのもあれだから「年を重ねました」とは言わなくなりました。でも幾人かには「ねーねー祝って!」と伝えました。祝ってほしいなら、祝ってほしいと言おう。SAY YES。誕生日に1番大事なのは、自分が素直になることだと思うのです。
自分が生まれてきたのを、自分以外の誰かにちょっとだけ認めてほしいし、ここまで生きてこれたのを褒めてもらえたら嬉しい。自分への祝福を、誰かの手をひいて手伝ってもらいたいのです。ありのままに我儘に。別にそう有るのは今日だけじゃなくていいんだけど、そういうノリなんです今年は。
今年に入ってから、大きな目標がなくなりました。
前までは漠然と英語をやろうとか、資格を取ろうとか、当てもなくきらびやかなゴールを設置して頑張ろうとしてたんですが、今は、なんだろう。「何者かになれる偉大なる自分」像を信じれなくなってきたというか。
以前の自分は、ネットやTVの中の人のように「素敵な職業につく人」になりたかった。誰かもが〇をくれるような、人物のコピーになるのが1番”楽”というか。何者でもない今の自分にNGを出して、安寧な夢を見たがっていました。
しかしまあ年齢も重ねてきて。いい加減己に正直にならないと、にっちもさっちもいかんでしょと思うようになりました。自分って存外面倒くさがりやで、頑張れない人間なんだと。所詮ここまでしかできぬ矮小な人間だと。思うようになりました。
人生を諦めた訳ではなく、身の程を知ったのです。出来ることと出来ないことがあって、出来ない比率のほうが恐ろしく大きい。
だからといって。身の程を知ったから、じゃあここまでしか出来んわ。
と投げ出したくはないのです。それは死です。私の精神の死です。狂おしいほどに余生は長い。残りの時間で何ができるのか、怠惰と老いの狭間で無様に足掻いてこそ、わたしの人生なのでしょう。
詩人みたいになってしまった。
まだ低気圧で頭がぼーっとしている。今日が明ければ、少し楽になるんだろうか。
誕生日がもうすぐで終わる。
矮小な自分を噛みしめて、そんな自分をお祝いしてくれる人たちを瞼の裏に焼き付けて、低気圧に身を任せて、残り少ない誕生日を楽しむことにする。
去年(2022年)の誕生日ブログ↓↓↓
はてなブログの記事の有料販売機能について、ダラダラとした雑感
はてなブログで記事の有料販売ができるようになりましたね。
noteみたいな感じになるのかな~とボンヤリ眺めていました。自分はお金をいただける程中身のある記事は書けないし、関係ないやと思っていたけど、色んな方がブログで考えを表明するのを読み、はてなの推移に興味を持ってきた次第です。
有料販売紹介ページの「こんな方におすすめ」欄を見てみた。
料理レシピなどの実用技術の公開、小説やエッセイなど作品発表に使えるよとのこと。自身が持ちえない知識や経験、娯楽の享受へ向けお金を払うのは理解できる。作品発表に関しては、「これ以上読むなら課金してね」形式のサイトやアプリが山とあるので、容易に受け入れられる文化だ。
ブロガーさん自身が魅力的で、個性でもって人を惹きつけているブログなら、よりプライベートな文章を発信していく場としても向いているだろう。ファンクラブみたいなイメージ。投げ銭にも似ている。推しは推せるうちに推せ、だ。
自分に合った使い方があるなら、有料記事も悪くないだろう。ただ自分にはまだ不相応だ。値段に見合った記事をと力んじゃう。最低販売金額が100円だそうだが、「100円くらいならいっか」と目がくらむ自分がいる。そんな考えはよくないぞ。その程度の決心で、安易に手をつけてはいけない領域だ。責任も生じる。ひっそりでいいから読んでほしいって思ってるのに、売れなかったら読まれない訳だし。そんなの寂しい。
納得がいく理由が見つけられてないだけなので、心変わりがあれば、チャレンジするかもしれない。
有料化のいの一番の理由として、広告に頼らないマネタイズを想像していたけど、別なメリットをこちらの記事で気づかされた。健全なコミュニティの構築だ。
いつも読ませてもらっています↓↓↓
「お金を払ってでもあなたの記事が読みたい」と言ってくださる読み手に向け記事を公開するのは、書き手の精神衛生上、極めて"良"に違いない。PVが多いほど多種多様な読み手がいる訳で。クソリプに心をすり減らす時間があったら、記事の1つや2つ書きたいはず。お金を払ってまでも文句を言いに来る方もいるかもしれないが、そんなのはごくごく少数なはずで。
健全なコミュニティといえば「Letters from an American」を思い出した。無料で読み放題の配信なのに、年に3億円以上の収益があるという。
課金ポイントはただ1つ。5ドル払うと、記事にコメントができる。
アメリカの政治と歴史というセンシティブなテーマにも関わらず、コメント欄では知的かつ建設的な意見が投稿されている。荒らしとは無縁の、知的層の社交場のような様相を呈す。
広大かつ深淵なるインターネットにおいて、文字だけの交流は至極難しい。書き手の意志を尊重し、柔らかにゾーニングする上で、有料化は然るべき進化なのかもしれない。
heathercoxrichardson.substack.com
現代は、何でも無料で読める・遊べる・利用できるサービスが多い。AIサービスも台頭してきて、インターネットにおける「有料」のハードルは上がるばかりだ。
文章については、しかしどうだろう。今後AIの小説に人気が集まるのかもしれないが、文字という究極にシンプルな表現が廃れることはないはずだ。誰が発信するかで意味合いが異なるし、少なくとも、ノンフィクションな日記やエッセイのリアリティって、永遠に変わらないエンターテイメントではないのかな。
長文が読まれづらい時代だし、自分も年を重ねるにつれ本を読む時間が減ってきている。それでもまあいいじゃない。無料でも有料でもなんでも、みんな一緒にブログ書いていこうよ。わたしはみんなの私生活の喜びや嘆きを享受したいし、わたしもダラダラ意見を垂れ流していきたい。建設的じゃないかもしれないけど。