書きたい分だけ書くブログ

冗長な戯言(たわごと)をつらつらと

大きな夢が持てないなら持てなくていいんじゃないかな

バケットリスト、いわゆる、死ぬまでにやりたいことリストを昨年からひっそり日記に書いていた。改めてリストを読み返すと、自分の現在の意に反しているなと感じる項目が多かったので、かなりの数を没にした。

バケットリストを記すことの何がいいって、稚拙でも思いを言語化できる点だ。ある職場で「感じた内容を、自分の言葉で表現しよう」と教えられた。当初、わざわざわたしなんぞの表現に何の価値があるのか、面倒だな、頭の片隅にそんな考えがあったのは否めない。しかし仕事だしなと継続するうち、ふと振り返ると、今のわたしの人生に非常に良い影響があった。

まず「自分の意見を聞く誰かがいること」を意識づけられた点。わたしの表現力が稚拙でも、なるほど、YES、それはどういう意味?と受け止め、反応を返してくれる存在がいる。この広大な世界に、己の体1つで立っているのではないと肌身で感じれた。

そして「言語化には個性が出て面白い」と気づけた点。同じテーマで話していても、とらえ方が違う、とらえ方が同じでも、方向性や言葉選びが違う。”これってこういうものでしょ”という固定観念は、あくまで自身の脳が作り出した幻想で、言葉と言葉で細部を比べあうと、驚くほど思考が異なる。会話って、言葉って、だから楽しいんだなと、思うようになった。

どんなに稚拙でも表現してよいのだ。もちろん他者を傷つけないよう、方法には工夫が必要だが、己を卑下する必要はない。そう思えるようになって、随分生きやすくなった気がする。

バケットリストには内なる願いが好き放題書ける。しかも自分のは公開していないので、遠慮もいらない。だから楽しい。じゃあ何故項目を削除したのか。リストを書いた当時と、精神状態があまりにも異なるためだろう、内容があまりに巨大すぎて、達成へのモチベーションが上がらないものが多すぎた。

たとえば「100キロを1日で走るぞ!」と24時間テレビばりの夢と、「(ランニング苦手だけど)1キロを休憩なしで走れるようになる」の夢では、前者が圧倒的に【夢がある】内容だろう。当初のリストには前者系の夢が多く書かれていた。

改めてリストを見返してげんなりした。ゴールが果てしなすぎて、スタートする気にならねぇなと思った。到達地点だけ示されても、スタートできないのは困る。なのでもっと簡単な目標、ベイビーステップ的な夢に書き換える作業を行った。これでちょっとはモチベーションが上がるだろう。上がらなかったら、もっと難易度を下げる。やる気になるまで、下げればよい。今はそう思う。

大きな夢を持てというけれど、持てないなら持てないでいいのだたぶん。今の自分の段階に応じた夢や目標を、コツコツ歩みを進め叶えることで、また次の夢や目標が見えたりするんじゃないかと思う。無理して高望みしなくていいし、他の人に比べてこんな小さい目標しか持てない、とか思わなくていいのだ。わたしは料理が苦手な人間だが、ちょっとでも料理が上手くなりたいと思っている。だからといって、いきなりイタリアンのフルコースや満漢全席を作ろうとは思わない。昼食に手作りした春菊とツナのサンドイッチが存外美味しくできただけで、幸せな気分になれるのだ。内なる喜びを止める人間はいない。
今の思いを、少しでも丁寧に言語化して、今日を楽しく生きていきたい。わたしはそう思う。誰かが共感してくれたら、とても嬉しい。